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生きづらさと向きあう任意団体

いま考える新しい“枕経”のかたち

※このインタビューのあと、石原利惠子さんは<ひとなみ>のスーパーバイザー(相談員)として参加してくれることになりました。ニックネームは「セレモママ」。

石原 利惠子  石原企画(旧 セレモニー興和)代表

interviewer 勝 桂子葬送を考える行政書士Okei


2010年3月12日(金)

池袋 EXCELSIOR CAFFEにて

 「直葬」流行りについて考える

Okei 先日、東京のある専門学校のフューネラル学科の卒業制作を見にいったら、
「直葬」という言葉についていろんな議論がなされていて興味深かったですよ。

石原 首都圏では3割超えましたからね、直葬。

Okei そうですね。直葬を選ぶかたのなかには、以前の葬儀で思ったよりも高くついてしまった経験から、「意味のわからない余計なことにお金をかけたくない」、との思いでシンプルな直葬パッケージを選ぶかたもあるようです。

その反面で、「本当に大切なことになら、お金をかけたい」という思いも、じつは消費者の間にあるのではないかと思うんですよ。
その点を見逃してしまって、たとえば、「直葬が流行っている」=「無味乾燥」あるいは「儀式を軽視する傾向」である、などとマスコミなどがあおるのは、早計ではないかと。

石原 そうそう! それで先日、私ちょっと思いついたことがあるんです。
おばあちゃんが亡くなられて、ご自宅に安置されたんです。
送る側が娘さんとお孫さんで、たまたま女性ばかりだったので、「あ、これは映画<おくりびと>みたいなことをやってみるチャンスかも」と。

「おばあちゃんをお送りする支度を、ご一緒にしてみますか?」
「はい。ぜひに」
ということになって。

まず、水にお湯をそそいでぬるま湯にする“逆さ水”をつくってもらい、タオルを絞ってお身体を洗い、新しい肌着をつけて。
詰め物など施す間だけ次の間に出ていただいて、処置がすんだらまた入ってもらって、うす化粧も皆でしました。
そのとき、こんなに穏やかにお見送りできるなんて、と感慨にふけりながらフト思ったんですけど、僧侶が死後すぐに駆けつけてしてくださる「枕経」って亡くなってからじゃなく、死に際したときに、
「これから彼岸へ行くけど、こわくないんだよ」、
「誰さんも待ってるし、きっとこんなふうになっているし」
っていうようなことを、いつもの難解なお経じゃなく、わかりやすい言葉で伝えてくれるのが本当なんじゃないか、って。

Okei あ~! 利惠子さんそれすごいですよ!!

私もずっと思ってたんです。
ガンで余命宣告された人って、牧師さん呼んで、いろいろ話を聞いてもらったりするじゃないですか。
でも、お坊さんで、そういうことを普通にできる人が、まだまだ少ない。
生老病死苦、を取り去るのが仕事なのに、いちばんの苦しみである“死に際しての不安”に、ともに向き合ってくれることをしないで、死んだあとでやってきて、お布施だの戒名つけるだので何十万(場合によっては何百万)と金銭を要求するから“葬式仏教”、“人が死んだら儲かる仕事”って思われちゃうんですよね。

石原 看取りをやっている僧侶もいますけど、「わかりやすい言葉で、不安を取り去る」ということをきちんとできる僧侶は本当に稀だと思いますよ。
キリスト教の牧師さんは、葬儀にかかわらず日常的に説教をする機会が僧侶より多いから、一般の人の興味や目線に合った話題も出てきやすいんでしょうけれど、僧侶はどうも観念的なお話しになるかたが多い気がしますね。

Okei この<ひとなみ>で、ぜひその“生前の枕経”が当たり前に行われるような流れをつくってみたいです。

そのためにはきっと、ふだんから僧侶がもっと一般のかたと交流したり、話をしたりする機会を、積極的につくっていく必要があるでしょうね。

石原 そうかもしれないですね。理解あるお坊さんが集まることを期待しています!

Okei ありがとうございました。

(註)「枕経」は、地域や宗派によっては行わない場合もあります。
また、たぐち和尚いわく、
「枕経はやはり臨終のあと最初に唱えるお経という定義が定着している気がする。
臨終の直前に駆けつけられるタイミングであれば、そこで宗教者としてできる限りのことをすべき、
ということには賛同するけれど、ほかになにかぴったりくる言葉はないだろうか」と、コメントしております。

いっぽう、浄土宗ではそもそも、死に際して唱えるお経を“枕経”と称するようです。