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生きづらさと向きあう任意団体

葬祭関連イベント報告

手元供養協会設立10周年記念イベント

前半、少し遅れて、小谷みどり氏の講演から拝聴。

亡くなった人のことを死後も親しく思う人がいなければ、手元供養も墓も要らなくなる。

ここ2週間、誰とも挨拶をしない、喋らないという高齢者が6人に一人という現状。
しかし、そうでない人は、「そんな人は自分のまわりにいない」と認識しているギャップ。

弔う、ということの意味を考える必要がある。

以上をもとに、Okeiが〈ひとなみ〉的に、考えてしまったこと。

⇒現実の友がいなくても、回顧に生きているかもしれない。
⇒(婚活に焦点を当てるなら)自己肯定感がなく他者の否定と自己の釈明の壺にはまっている人を解放することが急務。

次は、手元供養協会理事長山崎氏率いるパネルディスカッション。
メンバーは、先ほどの小谷氏ほか、本田桂子さん、建築の八木澤先生、ブルーオーシャン+コミュニティカフェの村田ますみ代表(一般社団法人日本海洋散骨協会代表理事)、宗教学者の島田裕巳先生、河野篤史氏(静岡の石材店6代目社長)、杉井住職(臨済宗東福寺派教学部長)と各方面から豪華な顔ぶれ。

イエや社会が変容した以上、墓や葬儀の問題が変わるのも当たり前。イエというものが、これからも続いていくものなのか、そこを前提にして考えていいのか、から出発すべき。

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blockquote>島田さんから出たように、昔は遺族はなにもやらなくてよかった。高度成長時代は会社がやってくれた。それがすべてなくなったあとに出てきたのが葬儀屋。家族だけで送るのに社葬レベルでやっていたから叩かれた。いま、ちょうどよくなっているともいえる。
戦前は、貧乏人は墓もなかった。要らない墓まで買ってしまった結果がコレなので、守らなければいけないのか?から考えるべき。

学術的見地から、ダイナミックな分析がなされたことが印象的でした。

会場にいらした国立歴史民俗博物館のかたからの意見もご紹介します。

「死者を何らかの形で一時記憶し、それをゆるやかに忘れていく」、突然に消滅するというショックを和らげていくのが供養システム。
地域ごとのよりしろがなくなり、供養システムが揺らいでいることによる不安、それを社会的にも支えきれない不安がいまを覆っている。
社会が死者を(生きているうちから記憶されない、縁が切れている人も含め)ゆるやかに忘れさせていくシステムをどう構築し直していくのか、ということがいま問われている。

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数々の気づきや思いをいただいた1日でした。

//Okei Sugre//