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生きづらさと向きあう任意団体

子供に迷惑をかけないお葬式の教科書

人が喪主として葬儀を経験するのは生涯に多くても数回。
ですから葬儀には、リピーターである濃い消費者、常連客が存在しません。

経験豊富な長けた消費者がいないので、「どのような葬儀が希望か?」という調査をしても、過去数年以内に実際に体験した葬儀ではなく、10年以上も前の葬儀のおぼろげな記憶と想像でしか回答されていないものが多いものです。

また、クレームを述べる消費者がいたとしても、彼らが数年以内にまた利用する可能性が低いので、迅速な改善もされづらい業界といえます。
加えてここ15年ほどは、花祭壇、家族葬、自由葬(おもに無宗教)、直葬など新たなサービスが年単位で登場していますから、「10年前の祖父の葬儀」の経験を活かして今回の葬儀をよりよいものにしようと思っても、比較ができない状況になっています。

かしこい葬儀の選びかた

どんな葬儀社を選べば失敗がないのか?
複雑すぎて選びづらいサービスとオプションから何を選べばよいのか?

それを筆者は、見積書の見かたや事前相談に行った際に店内のどこをチェックすればよいのかという、具体的かつわかりやすい事例で解説しています。

その志の源流はココ。

 ダメな葬儀屋さんを市場から追い出す手段は、消費者が良い葬儀屋さんを選ぶ以外にないのですから。(本書第1章 お葬式の人気がなくなった、より)

このフレーズには、強く揺さぶられました。

同じことは、お寺についても、他のあまねく商品についても言えます。
利益優先主義で、健康を害するものであろうとストレスを与えるものであろうと構わず、魅力的な文句で売られ続ける低迷期の資本主義社会。
そのなかで、生きづらさを少しでも減らそうとするならば、「ダメな商品」、「ダメな企業」、「ダメなサービス」を、選ばない勇気を持つ人を増やすしかないのだと、後頭部をガツンと殴られたような衝撃を受けました。

たしかにここ5~6年、葬儀の生前契約はうなぎのぼりですし、巷で葬儀や供養の話をすることも憚られなくなりました。
しかし、耳に入ってくる情報には実現不可能なものも多く、思わず突っ込みたくなってしまうこともしばしば。筆頭は、「俺の骨は山にでも散骨してくれればいい」ですが、著者が描くこんな話もよくあります。

 団塊の世代の男性に多いのですが、「俺、葬式が嫌いだからさ、俺が死んだら葬式はしないで火葬だけのやつ、なんだっけ、そうそうあの『直葬』ってやつで、頼むよ」と言う人がいます。
 しかし、そう言っている人は次の質問にサッと答えられるでしょうか。
「直葬って結局全部でいくらかかるか、ご存知ですか」
「直葬を行うということで、家族親戚の同意は得ていますか?」
「友人知人への訃報の通知はどう行うか決めていますか」
 どうでしょう、サッと答えられましたか?
もし本当に自分の最期について真剣に考えた上で、「直葬」という結論に至っているなら先ほどの質問に対する回答が用意されているはずです。もし答えられないなら、深く考えずに飲み屋での与太話をしているというレベルであり、お葬式は嫌という段階で思考を停止させているのだと思います。(本書第3章 「直葬」のときほどよく考えよう、より)

本書は、葬儀を出す予定の人のみならず、自分自身の最期について考えるキッカケとしてもオススメできる本です。

ゴールを考えることは、よりよく生きることと同義

自分の終末期に思いをはせることは、ココから後の生きかたを左右します。

あわや……という事故をスレスレで回避できたあと、やりたかったのに手をつけられずにいたことが急にはかどるということがあります。
終わりがあると自覚したら、人は、のんべんだらりとゲームばかりしてはいられません。
また、終わりがあると確実に実感できていたら、嫌悪を抱くしかない環境から、自発的に逃げ出すこともできるのではないでしょうか。

最期を思い浮かべることは、よりよく生きることに直結しています。

葬祭の意義を問うて、消費社会に一石を投ずる

著者の赤城啓昭(あかぎ)氏は大手葬祭業者に勤務し、月間45万PV、ライブドアブログOF THE YEAR 2015も受賞した「考える葬儀屋さんのブログ」の管理人。
葬祭業界では長年、「考える葬儀屋さんは誰なんだ?」としばしば話題になっていたけれども、会ったことがあるという人は、少なくとも私のまわりにはいませんでした。

ブログでは、葬祭についての意見や分析は冷静かつ本質を突いていることが多いです。語り口は常にかなりの辛口ですが、葬祭の世界を無味乾燥なものにしてはならないという愛が感じられ、蹴落とすだけの誹謗中傷はしていません。
だからこそ人気のブログとなっているのでしょう。

そしてなぜか、拙著『いいお坊さん ひどいお坊さん』に関してはこのように高評価をいただいております。
いずれ機会があれば、対談などさせていただきたいものです。