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生きづらさと向きあう任意団体

藤原家

阿波内侍の真意:崇徳上皇は怨霊なんかじゃない!

(※前編「桜シーズンの京都で、閑静な庭園美を堪能する」から続く)

テーマ=阿波内侍(あわのないじ)の足跡を追う(後編)

今回のルート=①総本山善通寺➡②こんぴら歌舞伎大芝居➡③崇徳上皇陵(白峯御陵)➡④阿波・願勝寺

【ひとことコメント】崇徳上皇を祀り、平成の時代に縁切り縁結びスポットとして脚光を浴び、「〇〇(←恋敵、本妻etc.の名前)が××になりますように(←不幸を示すさまざまな言葉)」と呪う、おぞましい絵馬が千と連なる京都の安井金毘羅宮。かつてそこへ住まい、保元・平治の両乱を、敵味方双方の関係者としてくぐりぬけた阿波内侍にスポットを当て、崇徳上皇の流された阿波・讃岐へ向かいます。

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奈良・藤原広嗣邸跡地に、唐津・松浦と同じ名の「鏡神社」あり

(前編「~藤原広嗣ゆかりの鏡神社を訪ねて~」から続く)

テーマ=聖武天皇の真意<後編> ~奈良・南都鏡神社を訪ねて~

今回のルート=(近鉄奈良駅)➡①頭塔➡②南都鏡神社/新薬師寺➡③東大寺➡④聖武天皇陵/光明皇后陵

【ひとことコメント】奈良のピラミッドと呼ばれ、32m四方、高さ10m、7段にそびえる頭塔(ずとう)。この頭塔は、前編に登場した僧侶・玄昉(げんぼう)の首塚とも言われる。そして、佐賀唐津にある「松浦の鏡神社」二ノ宮に藤原広嗣が祀られた半世紀のち、ここ奈良の藤原広嗣の邸宅があったとされる場所にも、鏡神社が勧請される。国家を憂う者と私欲に走る者とのせめぎ合いは、奈良時代も現代も同じ。聖武天皇の真意をさぐる旅、後半へ。

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聖武天皇の真意<前編> ~藤原広嗣ゆかりの鏡神社を訪ねて~

テーマ=異世界のごとく美しい佐賀・唐津の鏡神社が祀る、藤原広嗣とは?

今回のルート=①(佐賀・唐津)鏡神社➡②虹の松原➡③大宰府跡

【ひとことコメント】壬申の乱以後70年近く、戦乱のない時代が続いた。しかし、藤原四兄弟が長屋王を亡きものとした頃から、藤原家の栄華に翳りが見え始める。藤原不比等の子らが天然痘により相次いで逝去。740年、九州大宰府の任に就いていた藤原広嗣が朝廷軍と争った藤原広嗣の乱が勃発。敗退し処刑された広嗣を祭神として祀るのが、今回の訪問先=唐津・鏡神社です。

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