ハニワのぼくたちは何千年と世界のあちこちを見分してきたけれど、人間の寿命はわずか80年かそこらだよね
そのまたたく刹那に五感を精一杯ひらいて、和歌を詠んだり俳句をたしなんだり。音曲を奏でたり、はたまた香道なんて趣味をたしなむ日本人はまこと雅よのぉ
しかし昨今、自然とふれあい和歌や俳句をたしなむ日本人は激減していることを観測中だ
自然と戯れる時間を失った人間たちは、短い時間を生老病死苦にさいなまれて過ごしているという
う~む。たしかに昔とくらべ、いまは長生きになっているのに、人生を徒過して終盤になって惜しむ人や、逆に老後が不安だからと若いときから目の前の刹那を愉しまずに、悶々とすごしている人も多いようにみえる
われらハニワが、見分せし幾多の時代の記憶から、短き人生を最大限に謳歌するための極意を伝えんとす
死生観や悩みについて話すことが
当たり前(=人並み)に
なるよう祈念します
あらゆる人が自己肯定感を保てるよう努力します
悲しみ苦しみをプラスに転じられるよう模索します
死別のことを語れる場を提供します
寺社が
皆さんの生老病死苦を
やわらげる場となるよう努めます
人と人との波間(<ひとなみの由来)にいる
安堵感、心地よさを
感じられる社会を願います
《人は、ゴールテープのないところで全力疾走はできません》
「あの世なんてない」
「死んだらなにもかもなくなる」
👉「だから、葬式や墓にお金をかけるのはもったいない!」
そんなふうに考える人が増えています。
ところが、宗派を超えた全国津々浦々、何百人ものお坊さまと話をしてみると、
「最期だからできる範囲のことを精一杯というご家庭のほうが、いい葬儀になる」
「きちんと回忌法要をしているご家庭のほうが、概して円満だし経済的にもうまくいっている」
とうかがいます。
「坊主は通夜葬儀も回忌法要も省かれたら商売にならないから、そう言っているだけだろう!」
そんなふうに感じたかたも、ぜひ少しでも過去のひとなみ座談会やひとなみ勉強会、お坊さんと話そう!の様子をご覧ください。
知っていただきたいのです。
ほんとうに真摯にお釈迦さまの教えを伝えようとし、いまを生きづらいと感じている人々の力になろうとする宗教者のこと。
割合としては少数ですが、この国にはまだいらっしゃいます。
「でも、アタリの坊さんなんて例外的なくらい少ないだろ」
「寺をしらみつぶしに当たったって、気軽に行ける範囲にそんな坊さんがいるかどうか」
いまは、遠方の僧侶からも法話をうかがうことができます。
ひとなみ月例Zoom(※)やひとなみと協力パートナーであるウェブサイト「ハスノハ」。
ネットという環境を通して、素敵なお坊さまと巡りあうことができます。
いいお坊さんどうしは、研修や社会貢献活動などで横につながっていることが多いもの。
素敵なお坊さまと出会えたら、お近くのエリアのお坊さまをご紹介いただくこともできるかもしれません。
ひとなみでは、各種催しや月例Zoomを通し、
すでに逝った人々のこと、これから逝こうとしているかたのことを考えていきます。
《人生のゴール》を知ることによって、自分の人生にもいつか終わりが来ること。
それは何十年も先かもしれないし、明日かもしれないということ。
そうした意識のもと、人生の岐路にたったとき相談できる宗教者をもっておくこと。
おなじ温度感覚で対話できる仲間をもつこと。
葬祭について学んだ同じエリアの葬祭カウンセラーどうしが手をとりあってゆけば。
〝血縁を頼らなくとも、看取り合える社会〟の基盤ができると考えているのです。
ひとなみでは、葬祭カウンセラーという民間資格の創設者である二村祐輔の「日本葬祭アカデミー教務研究室」監修のもと、2024年より葬祭カウンセラー認定実用講座をコエテコカレッジ内に開設。
学びの内容は、民俗学や歴史学、宗教学的見地から葬祭を見つめ直すこと。
ハニワと学ぶ、“みとり”の哲学。死生観・歴史・民俗学を通じて人生観を育み、血縁を超えて看取りあえる地域社会を創出する葬祭カウンセラーを認定。寺社を“みとりステーション”にしてゆきます。