5年ぶりのひとなみ座談会を、葬祭カウンセラーの皆さんと開催しました。
テーマは「いま寺社に求められること」。開かれたお寺であることはいうまでもありませんが、ただイベントを実施して市民に門戸を開いても、頼りにされる寺社になれるわけではありません。
いったい人は、どのようにして寺社を「必要不可欠な場」だと認識してきたのか。
その必要不可欠性を再構築してゆくには、どうすればよいのか。
小林武彦著『なぜヒトだけが幸せになれないのか』(講談社現代新書)と、朝井リョウ著『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)を読み解きながら、考えてゆきました。













当日の動画を限定配信でご覧いただくことができます。
ただ、クローズの場ということで固有名詞などもお話しいただいていますので、ひとなみ公式LINEから友だち登録のうえ、「ひとなみ座談会の様子を知りたい/録画が見たい」とチャットにてメッセージいただいたかたにのみ、ご覧いただいております。
ご希望のかたは👉こちらから友だち登録をお願いいたします。
1時間半にわたりさまざまに展開した話の要点をまとめると、こんな感じです。
1
地域を離れると、そのエリアの慣習はわからなくなるし、代を経ればつながってゆかなくなる。
つながりたい気持ちをもっていたとしても、そこに住んでいないと檀信徒の輪にも入れなくなる。
2
20人くらいの小さな集団が心地よいとDNAが感じるならば、そうした場を再生してみるしかない
3
その集団の信頼は、「雑談」からつくられる。プロパガンダになってしまってはNG(カルト化)
葬祭カウンセラーの月例Zoomを毎月22日20時~おこなっています。
そこでは葬儀や墓じまい、お寺の舞台裏などさまざまな話をしています。参加者のなかには葬祭周辺事業者のかたもいらっしゃいますが、基本的にそこでの話は売上に直結することではありません。
「業界が今後どうなってゆけばより市民のためになるのか」とか、「利用者と業界との間にギャップがあるとすれば、その溝を埋めていくにはどうすればよいのか」といった、すぐにはどうともならないハナシ。
そこで見えてくるのは、「あの人はわたしとは少し立場が違うな」とか、「そんな考えの人もいるんだ」など、同じ話題を語っていても微妙な温度差があったりすることです。しかし売上に直結する話ではないので、それぞれのやりかたがあってよく、どちらか一方を選ばなければならないわけでもありません。違っていながらも、「よりよい社会になれば」という思いは同じだったりもします。
今回の座談会で、わたしが最も印象深いと感じたのは、「人は、違いを知るために会話する」という言葉でした。
また、違いがあっても、つぶし合わなくてもよい場や話題。それこそが、われわれを生きづらくなくさせるために必要不可欠なことなのではないかと。要するに、稼ぎに直結しないハナシ。つまり功利主義の世のなかでは「どうでもよい」とされるハナシなのですね。
