僧侶と一般市民それぞれ200名以上から
お布施について本音のアンケートを回収
半年ぶりのZoom安居、70人以上のかたにご参加いただきました。
半年間が空いたのは、秋から冬にかけ、僧侶と一般のかたそれぞれに、お布施についてのアンケートを地道にお願いしていたためです。
僧侶203名、一般のかた208名にお答えいただくことができました(実施日のあとそれぞれ1件増えたため、報告の画像では+1になっています)。
回答寺院のエリアも、関東40.2%、近畿20.1%、東海11.3%、九州沖縄8.3%に続き、中国四国、東北、北陸、北海道と全国各地にひろがりました。
ファシリテイター鵜飼秀徳による全般解説
まず、前提として
- お布施をテーマにしたシンポジウムも、意識調査を実施した例も、ほとんどない。
- マスメディアにおいては議論がヒートしがちな繊細なテーマであるが、今回は非常に冷静にご回答をいただいていると感じる。
- 金銭のお布施に限って質問を作成している時点で、今回のアンケートは「お布施」本来の定義からは逸脱していることは認識している(が、現在のわが国の伝統仏教においては調査に値するテーマと判断しあえて実施した)。
との冒頭説明がありました。
お布施の目安金額表示についての賛否
- 「お布施の目安金額を明示してはならない」というのが、全日仏はじめ仏教界では一般的となっているが、実態は「明示してほしい」という場面が非常に多い。
- アンケートでも、「お布施の目安金額を明示すべきかどうか」について、僧侶と一般のかたとの間に差異がみられた。
(※「どちらかといえば賛成」を「賛成」、「どちらかというと反対」を「反対」でカウント)
【堀下剛司(スタッフ)からの補足コメント】
お布施の金額明示について、一般の人の7割くらいが「明示してほしい」と言っているので明示すべきであるように見えるが、中身をもう少し見たほうがいい。
自由記入の理由をみたところ、「各家の状況によるから」、「お布施本来の意味ではない」など、僧侶と同じ意見も相当数あり、「どちらでもない」と言いつつ、「どちらかといえば反対」なのではないか。また「賛成」のなかにも「どちらかといえば賛成」もあり、そのなかには「本来は明示するものではないが、まったくわからないのは困るので範囲は知りたい」など、定額である必要はないという意見も多数あった。
お布施の金額(目安)について
- お布施の相場感について:20~30万円がコア層である点は僧侶も一般もほぼ同じだったが、「僧侶が実際に受け取ったお布施の平均値(感覚値)」(グラフ色:グレー)では、50万~100万と100万以上を合わせると1割近くなっていること、一般(グラフ色:黄色)は「10万円以下」が3割近い点に、格差が感じられる。
➡一般の人の何割かは「高いと思いながら払っている」という結果。 - 僧侶のかたへ「もしも在家だったら、自分が導師をつとめる葬儀にいくら払う?」と尋ねた質問への回答でも、20万円~30万円未満が最多。
- ある宗派の「満足度調査」結果によれば、「菩提寺への満足度 54.4%」となっていた。大多数の信徒は、満足しているが、一部の和尚さんに問題があるのではないか。➡住職の人柄、誠実さ、親切さがポイント。
- ネットに表示される相場の多くは東京の相場。沖縄などは5万円程度で一律になっている。山陰地方も東京の10分の1以下(したがって、WEB に目安表示があると、従来よりも高く払ってもらえる地域もある)。
自由記入のコメントから
僧侶からのコメント
- 寺檀関係の岐路にある今、寺院運営(布施含)を早急に見直すべき
- 住職の資質や寺の格式などでお布施の額が変わるのはおかしい。施主が自由に決められるのが本義だと思っている。また、寺に納められたお布施を「何に使うか」は大切なことだと思うので、高級外車購入などに使って欲しくはない。
- 寺院の維持管理の為にお金は必要だけれど、例えば「生活保護を受け、最終的に孤独死してしまわれた方に対する葬儀を依頼しても、断る寺院がほとんど」という話を葬儀社の方から聞く。人が生き切って、最後を迎える時、ただ火葬場でお骨にすればいいのか? お金にならないから引導を渡さない、ということなら、僧侶の役目とは何だろう?
- 他にみんなが喜ぶような形で収入源を見つければ、檀信徒をお客さんだと思わずに済むのではないか?。 あくまでも、その宗旨を信じてこれまで関わってきた方々が檀信徒であり、顧客ではない事をしっかり認識しないと、お寺は残っても、人の心に信仰心は残らない。
- お布施は、僧侶の家庭生活の贅沢品の為に使用されるのではなく、宗教法人としてお寺の維持運営「存続」をする上で、『公益性』が伴うものとして使われるべき・また仏さまに金品として供えるものとしての認識があるべきで、現代のおお布施の使い道に対しては、必ず透明性が求められるものとして僧侶(または宗教者)の方々は自覚したほうがよい。
- 時代の流れで、ある程度金額を示すことが必要なのかもしれませんが、事情に応じてご相談いただける環境づくりが必要なのではないかと強く感じます。
- 明示する方向になると思うが、事情のある方へは配慮が必要。
- 最近の施主は、布施=寺への支払と捉えており、布施の意味をきちんと伝える事が必要。
- 住職も私も、「相手の身になって考えてみる」ことを大切にしています。 施主さんの事情や希望を汲み取り、ゆるされた範囲でどのような葬送やグリーフケアを提案できるのかを考えるようにしており、その中にお布施の額の相談がある場合もあります。
- 世代交代が進むにつれお寺、仏教、信仰に対する距離感が大きい方が増えてきており、お布施に対する意識が大きく変わってきているように感じる。
- 布施が収入ではなく、檀信徒の志だと思うことを大事にしています。
- 喜捨とか布施などの感情をしっかりと布教しなければならいし金銭感覚との乖離があり特に地域差もありすぎる。 綺麗事だと寺院は経営では無いが、家族などを養う為にはしっかりと経営者として見つめ直さなければならないと思う。
- 葬儀社の介入による影響もあってか、御布施を料金と考える層が増えて、それが普通の事と思われている節があると感じています。それでよしとされる方もいるでしょう。その方が安心するという方もいらっしゃいます。それでも、御布施の意義を正しく檀信徒に伝える事が僧侶の勤めと考えます。
- お布施は、寺の運営費にも使われている事を発信していくべきかと。
- 核家族化し、両親と同居しなくなったこと、相談できる親戚との付き合いも減っていること、葬儀の形が多様化し(家族葬・一日葬・遺骨葬、斎場・寺院・自宅など)選択肢が増えていることなどから、いざ仏事となったときに、「いくらお布施を包んだらよいかわからない。」ということがよく起きています。 本当にわからない場合は、「お気持ちで」と突き放すのではなく、お話を伺った上で幅を持たせて金額を伝えることが今は必要と考えています。あるいは、まず先方の予算を訊いて、それでできる形をお伝えするのもひとつのやり方だと思います。
一般のかたからのコメント
- お布施が高い安いではなく、どのようなお坊さん、お寺に見守ってほしいのかを生前から考えお付き合いすることが大事だと思います。
- 難しいです。もう少し僧侶の存在が身近で遺族に寄り添うヒーラーやカウンセラーのような存在になると、お布施が生きてくる気がします。
- お布施はもっと高額を包みたいのですが、経済的に厳しく、苦しむ遺族の気持ちもあります。
- 私はお布施は何かの対価ではないと思っていますが、最近はサービスの値段、物の値段のように思われていて、そこにとても違和感を感じています。
- 寺の魅力を作って欲しい。
- 僧侶側から布施の大切さを説かれたくない。自分達に都合のよい屁理屈にしか聞こえない。僧侶の説法は、どうしてもきれいごとに聞こえる。時代錯誤だと思う。時代(現代のこころの悩みを解くこと)にマッチするように、勉強して新しい仏教のあり方を見出していってほしい。
- 故人の追善は、宗教に頼らなくてもできる。布施等の収入が減り経営が成り立たなくなり、寺が廃寺になるのは仕方ない。「滅びるものは仕方ない」と仏教で説いているのに、何故に形式だけの形骸化した葬儀・法要に拘るのか理解に苦しむ。
- お布施をわたす前後の関係がほとんどない、市民とお寺の関係が近づけばいいと思う。
- 先日、親の葬儀でものすごい金額のお布施をした(大卒初任給の2か月分ほど)。来てくださった僧侶の方はとても立派な方だったと思うし、心の底から感謝している。しかし、それにしても、金額が高すぎて、自分の葬儀の時は子どもに払えってとは言えない。自分の時は読経もしてもらえない可能性があるのかと思うと本当につらい。
- 葬儀については、個人的には亡くなった人に対して残った人たちが心の折り合いをつける為の儀式と考えています。 その為、お布施等の金額は心の折り合いをつけるのに見合う金額が、妥当と考えます。
- お寺とのつながりが葬儀の時くらいしかないので、お布施は仕方ない、くらいにしか思っていません。ただ、子どもたちの代にまで、この「仕方ない」を持って行ってよいものか、いまだにわかりません。お寺(和尚様)と檀家との、個人的なつながりが必要と思います。
- お寺は、なくなってほしくない。荒れてほしくない。お寺には、存続してほしいので、維持、管理に必要なお布施は、葬儀、法事の際にお納めしようと思う。
- 仏教そのものは好きだし供養はきちんとしたいが、住職の人柄が好きではないのでお布施をしたくない。跡継ぎがいないので墓じまいして檀家をやめたいが相談しにくくて困っている。
- 義父の葬儀では相場がわからずにお尋ねしたところ金額を提示され、借金をしてお納めしました。生活保護を受けていた義父母に蓄えはありませんでした。 信仰心や気持ちがいくらあってもお金は有限なのです。 わたしたちは父を失った悲しみの中お金の心配までしなくてはならなかったのです。その辛さがわかりますか。 お金のことで主人や義母、義妹夫婦ともめました。 義父はどんな気持ちで旅立ったでしょう。 お通夜、お葬儀のあとは七日法要、四十九日、お彼岸、初盆、一回忌、三回忌、それが来るたびにお布施。凄く苦しかったです。最低限しかお布施できなくてどんどん肩身が狭くなっていきました。そうなると法要が苦痛でしかなくなります。徳を積む=高額のお布施? 亡くなってなおカースト制があるなんて信じられません。仏様は差別をされるのでしょうか。
- 率直に時代錯誤に感じます。寺院の修繕費など何かの対価として支払うのであれば、普段から金額を表示すべきだと思う。相手の足元や財布を見るのではなく、値上げやディスカウントのオプションも普段からわかるように示されるべきであり、表示されてないものに対して支払う義務は生じないと思う。伝統や文化、宗教も時代に合わせるところは合わせ、守る所はしっかりと守るべきだろう。
一般の皆さんが「お布施をさしだす理由」
ここで、「あなたはお布施の効果について、どう思われますか?(複数回答可)」で、上位の回答をご紹介します。
- 親や先祖のため(あるいは、恥をかかせないため)にお納めする(86票)
- 効果はわからない(期待していない)が、生涯に数回のことなので、しょうがないと思う(82票)
- 文化施設としての寺の維持のためなので、関係人がお納めするのはしかたがない(82票)
- 墓を維持するため(=寺がつぶれないため)に払うべきと思う(69票)
僧侶の皆さまからは、「寺の維持費も入っていることを周知したほうがよい」というご意見も多数いただきました。しかし、一般のかたは、「墓や寺を維持してほしいから、(仏教的な救いは感じていなくても)お布施を払っている」、つまり維持費だと思えばこそ、多少の無理をしてお納めしているのだという点に、もっとも大きなギャップを感じました。
運営スタッフからのコメント
【hasunoha代表:堀下剛司】
hasunohaには、ありとあらゆる苦しみの相談が来ています。毎月100万人が「回答者が僧侶の相談サイト」へアクセスしていること自体、一般のかたは苦しみに向きあってくれる人生の併走者としての宗教者を期待しています。「お気持ち」は500円のかたも2万円のかたもいらっしゃいます。それぞれの経済状況によって、「救われた」と感じる額は違います。100万円くらいの解放感を感じてくださるかたも、なかにはいるでしょう。宗教の存在意義はとても大きいと感じています。
日々、苦しみに併走してもらえている意識があれば、ほんとうに年間5万円(後述:Okeiのコメント)を高いと思う人はいないはず。
【浄土宗正覚寺(京都):鵜飼秀徳】
地域によってお布施の相場平均額も違えば、檀信徒数により運営に必要な1檀信徒当たりにご負担いただきたい金額もまったく異なります。社会はそういう事情はまったくわかりませんから、同じ30万円という金額だけがひとり歩きします。大事なのは、納得させること。つまり、「何に使ったのか」という情報開示だと思います。適正に使われていることを開示すれば、納得してもらえると思います。
【浄土宗玄向寺(松本):荻須真尚】
副住職の立場で、これから住職になったらどうすればよいかと思いながら聞いていました。法施のかたちでご法話や儀礼をし、それを受けとめてくださった一般のかたから、対価ではなく「このお坊さん(のお寺) のためならお布施をしたい」と自然な気持ちで出してくださるのが理想。しかし現実には、寺院運営を維持をするジレンマに苦しんでいらっしゃるお坊さんも多いのではないか。情報伝達不足、僧侶の側の説明不足を解消すべき。納得してお預けくださる流れをつくりたい。
800軒のお檀家さまを住職とふたりで400軒ずつ回っていると、困りごとがある・ない、など各家庭の状況が把握できます。若い人がいるのかいないのか、独居なのかどうか。ひと昔前は一族の長老なり隣組の長老なりがアドバイザー的な役割をしてくれていたが、いまは菩提寺とお檀家さんの個々の関係になっている。そのなかでお布施についてどう説明するのか。うちの場合は、きかれたら「こういう形でおこないますので」と説明し、明示するようにしています。
ひとなみ代表Okeiの感想
世代間隔がおよそ30年開いている昨今、30年ごとに2人の親を送るとすれば、葬儀が出るのが平均して15年に一度ということ。葬儀・法要で30~40万円(年平均2万円強)+回忌法要のお布施+毎年の管理費や棚経のお布施など加えると、年間3万円台から5万円程度を菩提寺へお納めしているご家庭が多いのではないかということになります。
年平均3~5万円程度を宗教法人(先祖の墓のある菩提寺)へお納めするのは、平均的な国民の経済状況に照らして、けして高すぎることではないと思います。
ただし、お寺と連絡をとることで気持ちが癒されない(むしろ気苦労が増えるだけの)場合や、人生のわからないことへの答えをもらえないのに、その金額を払うとしたら高いであろうと思います。
若い人は、ネットゲームに月給の何割も(ときには、5万円をはるかに超える金額を)課金している人が相当数います。昔ならば、飲み会を数件ハシゴしてタクシーで帰宅するということを数回していれば、5万円は飛んだでしょう。
気心知れた仲間と飲んで、あるいは現実世界で満たされない肯定感をゲーム世界で体感できるのならば。5万円は、快く手放され続けるのです。
朝から暗くなるまで、陽の光をあびることも風を感じることもなく学校や会社というコンクリートの建物ですごし、たえず周囲に気を遣い、上司や教員に否定され、自己肯定感はボロボロになり、満員列車で疲弊し帰宅する日々。そうした日々の沈んだ気持ちがいっときでも癒されるならば。5万円は、たやすく手放される(=喜捨される)のです。
借金をしてまでお納めした、というコメントをご紹介したときには、
「お金を払えないなら作務(掃除など)でもいいはず。高く払える人が屋根の修理代などを払い、そうでないかたは別のこと(労働など)でご奉仕すればよいのではないでしょうか」
とのチャットもいただきました(スタッフ側の僧侶3人とも、「もちろんそれでいいはず」とお答えしました)。
そもそも宗教というものは、「信仰をもちつづけていればお金や仕事に困らない」という構造になっていないと、信徒は集まらないのではないかと思います。
その意味で、檀信徒のほとんどが同じ村や町にいた戦前と違い、「住職と信徒個人」という個々の関係になっている現在は、宗教法人としてはとても構造が脆くなっています。今後10年~20年で檀信徒が助け合う構造を、どのように再構築してゆくかが大きな課題といえます。
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