2020年6月29日(月)18時~、2時間余りにわたり第2回zoom安居が開催されました。
差別とグリーフ。心のケアを必要とする2つの大きな問題について、宗教者はどのように関わってゆくべきなのかを、4人のパネリストからうかがいました。また、事務局スタッフでもあるhasunoha代表堀下氏より、「コロナ状況下で一般市民はお坊さんにどんな相談を寄せているのか」の報告もありました。
第1部では、福島で原発事故に起因する放射能差別のことを考えてきたお二人の僧侶・霜村真康さん(浄土宗)と秋央文さん(曹洞宗)から、差別が生じてしまう根底になにがあるのか、生まれた差別を解いてゆくには? その過程における宗教者の役割は? ということが、さまざまな角度から語られました。
・差別は「不安」から来ること
・不安の根拠が人それぞれ違うので、「それは違うよ」といっても、わかりあえないこと
・相手を論破する「議論」ではなく、違ったままでそれぞれの話を聴く「対話をする」ということの大切さ:持論を押しつけるのではなく、異なる意見でも「そういうこともあるかも?」と、聴くようにする➡さまざまな職業の人たちで、「未来会議」という対話の場を確立。
「未来会議」では、価値観の多様さを認めながら話し合うことを繰り返しているそうです。
結論を出そうとせず、いろいろな立場があるということを確認する場になっているので、ときには、原発の是非という立場では対立する人どうし(津波・原発事故の被害者と、電力会社の役員さんなど)が同じテーブルで対話をし、交流できるようになるという効果も発揮されているそうです。
続いて、同じ福島県でも中央部に位置する昌建寺の秋央文さん(曹洞宗)から、差別の構造についてのお話がありました。
・差別には2種類ある。A.悪意をもって呟かれる差別=悪意ある差別と、B.本人は意識していないのに結果として差別と指摘されるような「悪意なき差別」。
東日本大震災後においても、コロナ禍においても、むろんA.の悪意ある差別も横行したが、ここでは、ふだん悪意ある差別をしないような人が、なぜB.のような差別をひきおこしてしまうのかに重点を置いて分析したい。
・さらに、悪意なき差別が起こる構造として、3つの要因を想起。
①自衛(予防・防衛)本能からくる「排除の論理」
②わからないものへの「恐怖」(専門家でも意見が分かれる現実)
③「触らぬ神に祟りなし」症候群(仮称):当事者を意図的に避ける
・B.の悪意なき加担者(無意識のうちに差別の構造に巻き込まれ、加担者となった人々)にたいし、適切なケア(事情を理解し冷静に話をしてゆくなど)をしてゆけば、差別を軽減させることができるのではないか。
・「わからないことへの不安」が大きな原因なので、ともに学び、知ろうとする場をつくる(自発的な学習をうながす)。
・自粛派VS経済復興推奨派など、対立構造になっているどうしに働きかけ、双方の主張を交換し、信頼関係を築くための橋渡しをする。
➡宗教者には、その橋渡し役が適しているのではないか。
宗教者の発する「正義・正論(差別は悪である!etc.)」は、構造上無意識のうちに差別に加担してしまっている人を一刀両断に斬り捨ててしまい、傷つけてしまう場合がある。
そうなると、精神的な距離感が生まれ、加担者が変わる機会を逃してしまう。
➡北風(正義・正論をふりかざすこと)ではなく、太陽(目の前の相手は「悪意がないのに差別に加担した」ということを認め、菩薩行で向きあう)の精神でおこなうこと。
回答者全員が僧侶の悩み相談サイトhasunohaには、コロナのための自粛期間に入ってから、月間100万人からのアクセスがあるとのこと。寄せられる悩みの多くは、身近な人やペットの死をきっかけとした心の相談。
愛別離苦、生老病死苦にかかわることなど、お釈迦さまの教えの根幹につうずる質問を、市民はお坊さまがたに投げかけてきているのです。
死別の苦しみを半年以上にわたって質問しつづけたかたが、お坊さまとの間で何度ものやりとりをするなかで、すこしずつ感謝の言葉が出てくるようになった事例も紹介され、第2部のテーマであるグリーフケアへとつなげられました。
続いて、一般社団法人リヴオン代表 尾角光美(おかく・てるみ)さんが、「身近な人を亡くした場合の気持ち(グリーフ、喪失の悲嘆)」について、実践と学説に基づく知識の双方からお話しされました。
死別とその後のグリーフについて、わが国では「いつまでも泣いているのは恥ずかしいこと」のような偏見もありました。
また、たとえばコロナで亡くなったかたの遺族が、親戚にさえ死因を隠し続けている場合など、偏見をおそれるがため、安心してグリーフを表現してゆく環境を持てない場合もあります(=「公認されないグリーフ」)。
第1部の「差別」というテーマを受け、グリーフをどのようにとらえたらよいのか、とりわけ差別を伴う「公認されないグリーフ」について、わかりやすい説明をいただきました。
・いまでは「グリーフは自然な反応」、あたりまえにあっていいことと知られている
・グリーフは、その深さも、回復の波も、「人それぞれ、指紋ほどに違いがある」ということ
・コロナの死や自殺など、「公認されないグリーフ」(人に言いづらい側面のある死別)では、周囲から斜めに見られてしまうことがある
➡ことに宗教者には、正しい見かた、偏らない見かたをしてほしい。
それは、「ままに」(ジャッジをせず、そのままに)うけとること。
お坊さまがたは、「何か言ってあげなければ」と言葉をかけようとする場合が多いと思うが、「ままに」受けとめ、待つことも大事。
続いて、看護師でもあり尼寺の住職をつとめる飯島恵道さん(薬王山 東昌寺住職)より、「グリーフの担い手として、第三人称の関係性が重視されている」というお話がありました。
死別悲嘆者に対するケアの考察を大学院で続けたところ、イエのなかで気持ちを吐露するよりも、社会に出て、家族以外の人と話すほうが本音を吐露しやすいという結果が得られたそうです。
他人だけれど親密に語りあえる「第三人称親密圏」の存在が重要になってきているとのこと。たとえば、前に発表した尾角さんのリヴオンや、飯島さん自身が代表をつとめているケア集団ハートビートも含まれると思います。
WITHコロナ時代の僧侶のありかたについて、全国的に葬儀が縮小化されたり法要がキャンセルされたりしていると聞くが、檀家寺ではなく月参りでお話をきく立場の飯島さんは、「月参りが断られることは少なかった」。
つまり第三人称親密圏として、ひとりひとりの悩みをきく僧侶の存在は、従来よりも大きくなっている。
檀家制度をなくせということではなく、それはそれとして併存するが、コロナで法要がキャンセルされるのであれば、「僧侶と個人」という新たな関係性を地域のなかで(あるいはhasunohaのようなオンラインでも)増やしてゆくことが必要なのではないかとの提言がなされました。
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次回、第3回zoom安居は、7月21日(火)18時半~開催予定です。Peatixでのご予約をお願いいたします(7/10ごろまで準備中)。
鵜飼秀徳×勝 桂子で、お寺にまつわる諸問題を、いつものシンポジウム形式より少しざっくばらんに、トーク形式でお話しする予定です。