コロナ状況下で価値観が一変した2020年。
長引く自粛生活や慣れないテレワークに加え、外出先でも会話が制限される気運が続いているため、世界じゅうを漠たる不安が覆っています。
回答者全員が僧侶の人生相談サイトhasunohaにも、希死念慮の相談が多く寄せられるようになっているとのことで、今回のテーマとなりました。
hasunohaの堀下代表から、寄せられた質問と回答のうち、死生に関わる問答についての細かな分析の報告がありました。
分析の結果、回答僧侶はそれぞれに自発的に相談者の悩みの段階を感じとり、回答のしかたを変えているということがわかったそうです。
緊急性の高い場合は医療につなぐことを勧め、まだ体力があると認められる場合にのみ法話を語り掛けているなど、自然と対機説法(ケースバイケースで対応を変えている)が実現していました。
また、医療と宗教とを連携させるため、精神科医で僧侶でもある川野泰周さんによるセミナーを開くなどの試みについても発表されました。
続いて、神奈川県を中心に警察や保健所とも連携しながら20年来自死対策に取り組んでこられた藤尾聡允僧侶(自死自殺に向き合う僧侶の会共同代表)から、身近な人が悩んでいたらどう対応すべきかということについて、事例を挙げながらの詳しいお話をいただきました。
鬱モード(病気と診断される前の黄色信号の状態)になるのは、山道でクマに遭遇したときの身体反応と同じように、「同程度の心的ストレスを負えば、誰にでも起こりうること」だということをわかりやすくお話しいただきました。
その状態の人から相談を受けた場合は、ラジオのチューニングをするように、心のモードを相手と合わせられるよう努力すべきで(何時間でも話をじっくり聴く)、「説得しよう」とか、「考えを改めさせよう」というこちら側の恣意を押しつけることは不適切であるということが伝えられました。
堀下氏と藤尾僧侶のお話と、その後の質疑応答を通し一貫して伝えられたのは、自死念慮(希死念慮)も鬱モードも、ストレス社会において誰でもなりうる身体の自然反応であり、改善のための手だすけはすべきだけれど、直ちに否定すべき「いけないことではない」という認識でした。
こころの休養が必要だから、何もする気が起きなくなるのであって、それは「休みなさい」という身体のサイン。
励ますつもりで「頑張らないと」、「しっかりしなさい」とけしかけるのは禁句。
とりわけ日本人の場合、「会社に迷惑がかかるのではないか」、「親に心配をかけたくない」など、気を遣うがあまりにその状態になる人が大半であるので、その状態になるまで気を遣ってきた様子に耳を傾け、「ねぎらう言葉をかける」だけで充分であるということが共有されました。