お坊さんと、常識を覆して生き生きしよう!

桜シーズンの京都で、閑静な庭園美を堪能する

テーマ=阿波内侍(あわのないじ)の足跡を追う(前編)

【ひとことコメント】桜シーズンの京都でも、テーマを絞れば並ぶことなくお詣りでき、閑静な庭園をじっくり堪能することも可能! 保元・平治~壇ノ浦の戦いと続く乱世の舞台裏を、質素かつ地道に生きた阿波内侍という女性に思いをはせ、おまけに予期せぬ「一遍上人御像」にまで巡り合えてしまった満足度120%の旅でした。

桜シーズンの京都で閑静にまわれる旅マップ

今回のルート=①法住寺(後白河法皇陵)➡②長楽寺(建礼門院ご剃髪のお寺)➡③安井金比羅宮➡④崇徳上皇御廟所

阿波内侍ってどんな人?

保元の乱で讃岐へ流罪となられた崇徳上皇と親しく、縁切り・縁結びで有名な「安井金比羅宮」のある場所(当時は「藤寺」といった)に、上皇が彼女のための邸宅をしつらえたといわれる。保元の乱後は、寂光院の尼僧となる。安徳天皇の生母・建礼門院に仕え、平家滅亡後は生活を支えるため行商した。「大原女」の初代モデルとも。また、「しば漬け」の考案者とも。父は、平治の乱で亡くなる藤原信西。母は紀伊局とも呼ばれた藤原朝子で、母方祖先は讃岐の麻植(おえ)氏。この氏にピンと来たかたは鋭い! そうです。陛下が大嘗祭のときお召しになる特別な麻=アラタエを献上してきた忌部(いんべ)氏の家系です(明治以降は、忌部氏末裔の三木家が献上)。

016年4月8日、はなまつりの日に浄土宗教化研修会館のオープニングシンポジウムに呼んでいただいたので、講演翌日、桜シーズンの京都を旅しました。
駅前のバスターミナルは朝8時の時点で人の海。どの系統の列も、二重三重の大行列。8割はアジアからの観光客です。はたしてこのシーズンの京都で、並ぶことなく閑静な庭園美を堪能したり、写経をはじめとする体験を組み込んだ社寺観光など、可能なのでしょうか?

可能でした!

法住寺

まずは、「三十三間堂方面行き」バスで、後白河法皇の霊廟のある法住寺へ。
ここは、保元の乱で崇徳天皇と争った実弟、後白河法皇の御陵があります。阿波内侍の母はその後白河天皇の乳母でした。両親が揃ってサポートしている後白河天皇と、自身が仕えていた崇徳上皇が直接対決することになってしまったのですから、阿波内侍に思いをはせるならまず、相手方であった後白河法皇をお詣りせねばと、訪れました。

霊廟自体は曜日限定公開で、残念ながら訪問した週末には拝見できなかったのですが、入ると閑静に整えられたすばらしい庭園が。

三十三間堂に隣接しているにもかかわらず、参拝客はまばら。本堂参詣も、私たち2人だけの時間が10分以上あり、般若心経をゆっくりお唱えすることができました。
「写経1500円、写仏2000円」との表示があり、予約なしで随時体験可能。悦子さんが写仏、私が写経を申し込んだところ、奥の間へ案内されました。

写経・写仏を行う場には2組の先客(いずれも日本人)がいらっしゃいましたが、回廊に面した座卓に向かい、ゆったりと取り組むことができました。

そして、同じ部屋にはなんと、「親鸞聖人お手彫りの阿弥陀佛像」が安置されているのでした。天台宗の寺院でなぜ親鸞聖人? と驚きましたが、親鸞聖人が比叡山を下りられる前、18歳のころに彫られたお像とのこと。入口には特に表示されていなかったように思いますが、珍しい仏像を参拝客集めにアピールすることなく、写経や写仏を申し込んだ人だけが静かに拝むご縁をいただけるというこのお寺の姿勢には、ありがたいものを感じました。

また、写経を終えて手洗いを拝借すると、回廊の先に鯉のいる立派な庭が。ここでも、役僧さま以外誰ともすれ違うことなく、10分余りゆっくりと佇むことができました。

写経を終えて本堂入口へ向かうと、「一服どうぞ」とお抹茶と菓子でもてなされました。京都の喫茶で抹茶をいただけば1000円以上はするでしょう。親鸞聖人お手彫り阿弥陀佛像と、池と静寂にお抹茶までいただいて1500円では申し訳なく、帰り際に賽銭箱へ追加の志納をしたほどの満足度でした。

長楽寺

ふたたびバスで移動。円山公園から東へ山をのぼっていった先に、安徳天皇の生母・建礼門院が天皇とともに入水するも助けられた後に、髪を下された出家の地とされる長楽寺があります(写真の塔は、29歳で剃髪した建礼門院の記念塔)。こちらは法住寺より参拝客は多かったですが並ぶほどではありませんでした。

資料館には、安徳天皇の衣ほか、当寺が時宗の寺へ改宗していることから、国指定重要文化財の慶派大仏師作遊行上人像七体や、遊行上人が冬場に着用したと思われる衣など、ほかでは見ることのできない貴重な像や資料が収められていました。一遍上人フリークの私としては、上人との思わぬ対面に大興奮のひとときをすごしました。

一般開放された客殿から見渡せる日本庭園も立派です。数組の観光客がまばらに腰かけ、それぞれに静寂を愉しんでいました。
広間には現代画家の描いた建礼門院をモチーフとする洋画が飾られていました。この絵にも、阿波内侍さんが登場します。

安井金毘羅宮

長楽寺から円山公園を横切って、崇徳天皇を祀る安井金毘羅宮へ。崇徳天皇がこの地に阿波内侍を住まわせ、たびたび御幸したとご由緒には書かれています。

さすがにこちらは、円山公園から直結という立地に、近年「最強の縁切り&縁結びスポット」としてTVでも紹介されてしまったとあって、大盛況の人だかり。

しかし行列は本堂への参詣のためではなく、アイドルグループ嵐のメンバーがTV紹介したことでパワースポットとして全国的に有名となった「縁切り縁結び碑(いし)」への行列でした。崇徳上皇についても、この地に暮らした阿波内侍についても、崇徳上皇が讃岐へ流されたあと建礼門院に仕えながら出家して寂光院の尼僧となった内侍の心の内についても、おそらく関心はないと思われる多くの人が1時間待ちの大行列をなしている横をスルーして本殿だけお詣りしました。一切並ぶことなく、ゆっくりと手を合わせることができました。

④崇徳上皇御廟所

安井金比羅宮を出てすぐの路地に、阿波内侍がもらい受けた崇徳上皇の御髪をおさめたといわれる廟があります。中には入れませんが、保元の乱の敵味方双方の関係人であった阿波内侍が複雑な思いで乱の最終地点とした場所がここです。「阿波内侍の足跡を追う」テーマ観光の締めにふさわしく、ここで手を合わせて帰路に向かいました。

【おわりに】

観光ピークの時期を意識して、建礼門院と並んで阿波内侍の像が安置されている寂光院や、讃岐の崇徳天皇陵を後年になって移したといわれる白峯神宮など大きなスポットをあえてはずしましたが、手ごたえ充分な旅でした。

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(後編「阿波内侍の真意:崇徳上皇は怨霊なんかじゃない!」へ続く)

この記事を書いた人
『いいお坊さん ひどいお坊さん』(ベスト新書電子版, 2011)、『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』(啓文社書房, 2017)ほかの著者、勝 桂子(すぐれ・けいこ)、ニックネームOkeiです。 当サイト“ひとなみ”は、Okeiが主宰する任意団体です。葬祭カウンセラーとして、仏教をはじめとする宗教の存在意義を追究し、生きづらさを緩和してゆくための座談会、勉強会を随時開催しています。
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