栃木・一向寺の東好章僧侶から企画がもちあがったのはほんの2週間前でした。
はじめはFacebookで知人僧侶中心に数十人の輪で語らうような感覚だったのですが、呼びかけチラシに賛同してのお申込みが日に10人単位で増え、あっという間に80、90、100人超へ。zoomの参加人数制限を超えてしまい、最後はお断りするまでに。メディアのかたの取材もいただき大盛況のうちに幕を閉じました。
※当日の録画の一部(事務局関係者の出演部分のみ)を近日、動画で公開予定です(現在編集中)
「安居(あんご)」は、昆虫や小動物がたくさん徘徊する雨季に、外を出歩いて無用な殺生をしてしまうことを避けるため、仏教者が1つ所に集まり修行をすることです。新型コロナによる自粛とこの安居を重ねあわせ、夏安吾(げあんご)と題しました。
司会の荻須真尚僧侶より、本日のテーマ「布施」と、流れについて説明がありました。
①法施:仏のみ教えを、僧侶から信者へ伝えることについて。
自粛により葬儀が縮小化され、法要のキャンセルが全国的に相次ぐなか、法を説く場の喪失が懸念される。オンライン中継や手紙はがきを用いた伝道のありようを考える。
☞パネリストの鵜飼秀徳、勝 桂子よりそれぞれの取材報告
☞hasunoha堀下剛司氏より、お坊さんが回答者の相談サイトの状況報告
②財施:信者から僧侶への財施は、①の法施の機会喪失により激減。持続化給付金や雇用調整助成金を、寺ももらっていいのか?(もらえるのか? もらうべきなのか否か?)
☞僧侶から信徒への財施の事例として、路上生活者へおにぎりなどを支援しつづける「ひとさじの会」吉水岳彦(がくげん)僧侶、外国人技能実習生や留学生の支援をする日新窟の吉水慈豊(じほう)僧侶からの報告
③無畏施:怖れをとりのぞくことについて。慈悲心にもとづく「抜苦与楽」こそ宗教者の本分ではないのか。それはいま、実践されているのか。
☞大阪大学稲場圭信教授より、「利他」に基づく宗教者の活動についてうかがう
まずは『寺院消滅』、『無葬社会』などで知られる鵜飼秀徳さんが、地元・京都の観光寺院について、わざわざ門を築いて閉ざすところもあれば、逆にふだんは入館料をとっているのに通行フリーにして社会に貢献するところもあると報告。
開いてもクラスター発生のおそれがあり、閉ざしても「守りに入っている」と批判されるお寺。信徒からの法要依頼は激減し、葬儀に参列する人数も限られるようになり、法を説く場が減っていることで、仏教の明日を懸念する声も多くあります。
しかし鵜飼さんは、
「寺は、世間が不安にあふれる局面で、門を閉ざすべきではないと私は考えています」
と、強い言葉を投げかけられました。さらには、これだけ世界が激変するなか、
「宗教者からの発信が少ない。いま、(宗教者の)覚悟が試されている」
と結びました。
世間にたいし、奉仕をするこころを示す覚悟。多くの人を救済しようとするこころ(慈悲)。
いま、確固たる本分を示したお寺だけが、消滅にならず生き残るという印象を受けました。
つづいて私(勝 桂子)から、国をあげてオンラインミサが推奨されたフランス(カトリック教会)の例、ラマダン中に自粛となり聖地巡礼もできない異例の事態となるなか、やはりオンラインを利用し相談に応じているイスラーム教の例をご紹介しました。
日本国内では、本門佛立宗などでは、僧侶にたいする敬意が残っているため、自粛だからとお布施が減って困る状況にはないこと、新宗教のGLAではコロナを「禍」としてとらえず迎えうつ姿勢であり、代表自ら今後の連鎖倒産などに備えた経営指南まで行い、組織内に法務組織や医療チームもあって、生活全般にわたり組織がサポートしていることも発表しました。
これら宗教の勢いがコロナ〝禍〟を新たな気づきのチャンスや組織のいっそうの結束へと活かしている事例を見たあとで日本の伝統仏教各派の包括法人を思い浮かべてみると……錆びついて穴があき、ボロボロになった鉄骨を瓦礫の上で何本ものワイヤーが支えている、かつては寺であったかもしれないそんな光景が頭に浮かんでしまいました。
ひきつづき、回答者全員が僧侶の相談サイトhasunohaの堀下剛司氏より、新型コロナによる自粛が進むなか、同サイトへの相談件数がうなぎのぼりで、月間100万人が訪問するまでになっていることが報告されました。
回答僧侶は300人弱、相談の多くは深刻な悩みであるため、1件ごとの回答にも丁寧に時間をかける必要があり、日に回答できる数を制限せざるをえないこと。そのため、相談者は相談しようとアクセスしても、相談が受け付けられるまでに何度もトライしなければ投稿できないというお話がありました。
これを受けて、このzoom夏安居に参加された複数の僧侶が、さっそく回答僧侶に加わってくださいました。法要が減ってあいた時間を、このように「すでに用意された法施の場」で活かしていただくことが、もっともっとひろがってほしいです。
ひきつづいて、「財施」というテーマで、布施収入の激減で寺院運営があやぶまれるなか、給付金や助成金についても話がありましたが、それよりもお寺の側から信徒・市民への財施(お寺へあがった物資の循環)のご報告が印象深いものとなりました。ひとさじの会の吉水岳彦僧侶、外国人技能実習生や留学生の支援をされている日新窟の吉水慈豊僧侶から、現場の声をいただきました。
3つめのテーマ「無畏施」について、大阪大学教授の稲場圭信氏より、宗教と利他という視点から語っていただきました。
ふだんから利他の活動はもちろんどの宗教でも皆さん取り組まれているだろうけれども、いっぽうで、「(宗教的な)見えない力によって守られているから感染はしない」と過信するために、宗教施設でのクラスターが発生する事例も。
ニクラス・ルーマンの提唱するリスク社会文化(先を見越して危険に対し対策をして回避する)と、危険社会(災害は外部の力で起きるものなので、防災対策をしても意味がないという思いの強い社会)の比較から、正しく畏れることの大事さ、門前払いにすることなく、電話やオンラインも活用して声をかけあいながら、力を貸しささえ合ってゆくことの大切さをお話しされました。
ご参加いただいた僧侶のかたがたからは、「ボトムアップで何かしてゆかねば」、「今日を契機として、宗派を超えてつながっていけませんか」といった声がたくさん寄せられました。
しっかりとしたタイトルは未定ですが、事務局内(※)では
第2回は、「コロナの風評被害とグリーフをテーマに、お寺に何ができるのか? を探る」
第3回は、「地域からの発信:距離をこえ、法を伝える仲間のつながりを」
といったテーマで、月1回程度のペースで続けてゆけたらとの話が出ております。
※この活動は、冒頭にご紹介した東僧侶と荻須僧侶の発案でスタートしましたが、第1回開催後の反省会で、鵜飼秀徳さんが代表理事をつとめる「一般社団法人良いお寺研究会」、途中でお話しいただいた堀下剛司さんの「hasunoha」、私の任意団体「ひとなみ」(当サイト)など賛同する複数団体が協力してゆるく事務局を組織し、皆ができることを少しずつ提供しながら進めてゆくことが方針として決まりました。