寺社でつくる、ふりかえり自分史 & 金剛院見学ツアー@豊島区椎名町 金剛院
<この勉強会は、2015年6月4日に開催しました>
【趣旨】 2014年12月に主宰の私Okeiは、寄稿した中外日報「論」の後半部分で「寺社でふりかえりをすること」を提唱しました(参考記事はPDFよりご覧ください)。
提唱しただけに終わらず、実現のための第一歩をとの思いから、勉強会の開催という運びに。「自分史づくり」をご自身で一度体験していただくことにより、ご自坊ご自社で「ふりかえり自分史」の講座を開催できるようになることを目的として開催しました。
会場は、豊島区椎名町駅前の金剛院(真言宗豊山派)。勉強会の前半は、2014年に本堂耐震改修を含む大工事を終えたばかりのこのお寺を、ご住職の野々部利弘さんにご案内いただく「金剛院見学ツアー」といたしました。
【内容】 各自、お好きなテーマで写真を持ち寄っていただき、スクラップブッキングという手法を用いて1冊の自分史にまとめました。「寺社でつくる、ふりかえり自分史」勉強会
【参加者】
僧侶 4名
葬祭業等 2名
士業 2名
自分史活用推進協議会理事 1名
集めてきた写真を、黙々と切って、貼る作業。自然と、昭和の頃を「ふりかえる」会話が花開きます。
今回使用したのは、見開き15ページのスクラップブック。「○年分○枚の写真を用意したから、1見開きに○枚ずつ貼っていこう」と計画を立てます。←貼りきれないときは、千代紙や色紙で拡張すればOK。
↓(左)トップページは「開く楽しみ」を加えてみました。(右)包まれた写真を開くと…?
※集まったテーマは、「自坊の活動10年史」、「購入した漫画を時系列で並べてふり返る」、「子どもの成長記録」、「愛犬と過ごした記録」など。
【参加したかたからの感想】
・貼る写真を選ぶ時点で、十分ふりかえり効果があった。
・当日は半分までしか貼れなかったが、帰宅後完成させたら生きる元気がわいた。
・参加してよかった。紙のアルバムに整然と貼ってあるより、スクラップにしたほうが「何度も見る楽しみ」があるとわかった。
・つくりながらいろいろ語らう、この時間がいいんだとわかった。
【主催者Okeiより】
写真がデジタル化されてから、「時系列でふりかえる」機会が減りました。
昔は、子どもが卒業入学のたびに家族みんなでアルバムを開き、「あのときはこうだった」、「このときは大変だったね」…etc. と、人生のなかで何度もふりかえりを体験していたと思います。
スクラップブッキングは、スクラップ帳にデジタル化された写真を(もちろんネガから焼いた写真でもいいのですが)時系列で並べ、簡単なコメントをつけて、色紙やテープで装飾していくだけの、簡単な手仕事。
お寺でできる手仕事にはお念珠づくりなどもありますが、どのように貼ってあってもそれぞれにストーリーが見え、他人が見ても楽しめるので、巧拙を気にする必要がなく、また、隣り合わせた人が年代を超えて語り合えるのも、大きな特徴でした。
さらに、年月の経過を積み重ねてきたお寺という空間で行うことで、集会所など無機質な空間で同じことをするより何倍ものふりかえり効果を生むことも実感できました。
ふりかえり自分史をつくる活動を実現する寺社がひとつでも増えることを願っています。
【金剛院見学ツアー】
ふりかえり自分史の制作に入る前に、会場となった豊島区椎名町にある金剛院(真言宗豊山派)の見学会を実施しました。
▲椎名町駅北口の階段を降りると、右斜め前に見える赤門。江戸時代、赤門は徳川家の縁戚だけに許された(東京大学の赤門は、その場所が11代将軍の娘・溶姫の嫁ぎ先であった名残)。大火のとき金剛院が避難所となり、多くの民に貢献したことから、縁戚ではないが例外的に赤門を許可された寺院となった。
【日が暮れないうちに、墓地の見学へ⇒】
東京23区内、駅徒歩0分という場所にあるこのお寺でさえ、昨今は「墓じまい」をなさる檀信徒が増えているという。
金剛院では、次に紹介するいくつものパターンの「新しいお墓」がつくられ、柔軟性ある最先端の都会のお寺という印象を得た。
↑【クリスタル永代供養墓「さくらの風」】年間管理費不要、宗派不問の「マンション型」墓地。安置する人数により費用は90万円前後~130万円くらいまで幅がある。墓誌も希望によりオプションでつけられる。戒名は無料でつけている。↓【永代供養付個別墓「やすらぎ五輪塔」】
↑金剛院境内の弘法大師さま。「カフェなゆた」からもお姿を拝むことができる。
【金剛院ツアーを終えて】
2014年の改修以前からさまざまな催しに取り組むお寺として知られていた金剛院だが、境内を囲む壁を取り払い「カフェなゆた」が寺の外と内とをつないだことにより、完全に開かれたお寺として機能するようになっていると感じた。
「宗教法人は行政から敬遠される」と嘆くのではなく、登録文化財の指定や地下室の備蓄など、寺側から歩み寄るさまざまな工夫に、一市民として本当に頭が下がる思いがした。