先週9月5日に、大阪でビハーラ活動を成功させている真宗僧侶の三浦紀夫さんが、関東でもビハーラの手法を活用してほしいと、台東区の専念寺をお借りして、「首都圏ビハーラの集い」を開いてくださいました。
声かけに集まったのは、日頃からグリーフサポートに力を入れている僧侶や葬祭業のかた、プロジェクトダーナ東京で傾聴活動を実践されている僧侶、日本回想療法学会のかたがたや医師、そして成年後見からお墓のこと遺言相続と終活をサポートする行政書士の私と、さまざまな分野の専門家がバランスよく集いました。
今後、このご縁を活かし、ひとなみ周辺でもさらなるご縁をつないでゆけたらと感じました。
そして昨9月11日。
全青協主催のシンポジウム「仏教者の社会貢献を考える集い」が、大正大学で開かれました。
かつて長岡西病院でのビハーラ活動の中心でいらっしゃり、この春から東北大学で「実践宗教学寄附講座」の教鞭をとられている谷山洋三氏をはじめ、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」、「ひとさじの会」などから貴重な発表がありました。
数年前と較べ、確実な手応えを感じたのは、宗教者が社会活動を行っていくうえでの配慮や、本来の宗教教義との関係について、実践されているかたそれぞれに、ご自身なりの線引きや指針を持たれていた、という点です。
数年前、困窮する目の前の人々に思わず手をさしのべた彼らは、「こういう活動をしています」と語ることだけでもう少し精一杯だったような感があったように思うのです。
決して間違ったことをしているのではないという思いはあっても、たとえば「日々、朝夕のお勤めをしていれば祈りは届くのに、社会活動をして歩くのは、祈りの力を否定することじゃないのか」、「新聞にとりあげられてイイ気になるな」などと揶揄されれば、受けとめるための確固とした言葉をまだ持たず、揺らいだり歯がゆい思いをされたりといったことがあるのでは、と感じる場面も少なくありませんでした。
しかし3・11から一年半が経過した今、社会貢献することこそ宗教的実践practiceである、ということが、認知されています。
自死や終末医療あるいはライフエンディング(終活)といった、メンタルの問題が大きく関わる局面で、宗教者と、医師やカウンセラー、さらには手続きを行う法務の専門家らが横につながってチームでサポートしてゆくことの必要性が、明確になりつつあります。
首都圏ビハーラ、具体的に動き出せそうな気がしました。
宗教者・医師・カウンセラー・法務専門
連繋することでサポートする。
どんな場面でも、連繋は「心の力」となりますね。