お坊さんと、常識を覆して生き生きしよう!

ひとなみzoom座談会「自粛のなかで、私たちにできること」

新型コロナウイルス拡散防止のための緊急事態宣言のさなか、自宅にこもる人々からはさまざまな悲鳴も聞こえてきます。
そんななか、郵送での写経受け付けや、Instagramを活用した布教など、お寺が遠方の人へも安心(あんじん)を伝える動きが出てきました。

お寺はいま、何ができるのか。何をすべきなのか。
ひさびさの座談会をzoomで開催しました。

前半は、先日お伝えしたzoom坐禅の藤尾聡允僧侶とその坐禅の体験者を中心に、よかった点や工夫点について共有。
その後、Okeiが取材した遠隔でのさまざまな仏教活動について5分ほどご紹介しました。

大切なのは、生きづらい人を「すくいたい」気持ち

IT技術やSNSを活用することが、重要なのではないのです。
仏教は、苦とむきあう宗教です。
世界じゅうを苦難が覆ういま、アナログであってもIT技術を使うものであっても、何かをせずにはいられない気持ち、伝えたい・すくいたいという気持ちが大事だと思えます。

これまでお寺と縁のなかった人へ、安心(あんじん)を伝える方法は、たくさんあります。

貼り紙ひとつとっても、少し工夫するだけで「これまで仏教に縁のなかった人にも伝わる」ようになります。

こちらの「身口意」のポスターは、当初左の素案でした。日野崇雄僧侶(浄土宗浄土院住職)から「山形教区の全寺院に配ろうと思うんですが、なんとか一般のかたに、仏教の三業が新型コロナウイルス対策にもつうじることを伝えたい」との思いをうかがい、「イラストなど加えてみては?」とお話ししたところ、わずか数日で、右のポスターが完成しました。

「お寺の副住職でイラストと印刷に長けた人がいましたので、頼んでつくってもらいました」(日野僧侶)とのこと。
お坊さんの世界はじつに多様で、特技をお持ちのかたも大勢いらっしゃるので、地域のお寺どうしが協力すれば、全国どこでもこうしたポスターを低コストで作成することは可能と思います。

いつものお寺のあたりまえ。
つまり〝ひとなみの姿〟を
家から出られない人へ届ける

昨夜の座談会では、「奇抜なことをやろうとする必要はない」ということで、意見は一致しました。
ふだんやっている儀礼を動画やライブ配信にし、それを家から出られずストレスをためている人たちへ伝えようとするから、心をうつのでしょう、ということでした。

たとえば、ふだんお寺でなさっている朝のお勤め風景をオンラインで公開すれば、同じ時間に起きて読経を聴く人が出てきます。
檀信徒でもなく、同じ町に住んでいるわけでもない人が、そのお勤めを朝の日課にし、お寺のファンになる可能性もあるのです。

宗教儀礼は、参加してこそ信心につながる

施餓鬼会や合同法要といった大きな催しも、ことしは参拝を控えてもらい寺族のみでおこなうお寺も多いでしょう。そうした際に動画を残しておけば、お彼岸の墓参時期などにモニターで流して見ていただくこともできます。

一般市民のみえないところで儀礼をおこなっても、心に響きません。「例年と同じようにやっています」と文書でお伝えするだけでは、何割かの人の気持ちは離れてしまうと思います。
昨年まで恒例行事に毎年参加していた人の何割かは、来年はもう来ないかもしれないのです。

なぜなら、多くの都市で緊急事態宣言が出され、諸外国ではロックアウトまで起きているいま、人々は大きな不安とたたかっているのです。
じっさいにご自身や親しい人がウイルスによって倒れ、命の危機を感じた人もいます。
慣れないリモートワーク、在宅時間の延長で、ストレスをためこんでいる人も多くいます。

それなのに、お寺が「いつもの行事を見えないところでやっておいてくれるだけで、直接の手だすけは何もしなかった」のでは、寺離れが促進されるのも当然だからです。

うつやひきこもりの人がむしろ元気に?

緊急事態は、よくないことばかりともいえません。
これまでひきこもりだった人からは、社会全体がひきこもり状態のなか、「特別視されることがなくなって、気持ちが楽になった」という声も聞こえてきます。

いままで負け組といわれた人たちのこころが膨らみはじめ、レールにうまく乗れてきた人たちが経済的に頓挫する。そんな逆転が、あちこちで起きています。
在宅ワークが普及するなかで、夫は「仕事をしているのに子どもの泣き声がうるさい」と言い、妻は「子育てが仕事です!」と言いたいところだけれども黙って謝るしかないなど、家庭内でも軋轢が起きています。

どちらが正しい、どちらが間違っているということではないのです。
勝ち負けではなく、どちらもあっていい、これまでは別の立場の人たちにたいし配慮が足りなかったところを、わかりあえばよいのです。

そのために、いまこそ仏教思想を一般の人へひろめてゆく意味があるのです。

ひとなみの願いがいま、実現しようとしている!?

病や死について考えたり語ったりすることが、口に出しづらい特別なことではなく、あたりまえのことになる、それがひとなみの大きな願いでした。いま、それが現実になろうとしています。

現代医学も、未知のウイルスにたいしては非力でした。
移動の自由も制限され、物流も大きく崩れ、世界経済はいつまで低迷するのかみえてこない。そんな漠然とした大きな不安のなか、もしかすると「これまで弱者といわれた人たち」、「ドロップアウトしたといわれた人たち」が、社会の「あたりまえ」のひとつになるかもしれません。

さまざまな価値の逆転が起こり、勝ちも負けもよくわからなくなってゆくことでしょう。
そんな世のなかで、お坊さまがたが何を伝え、どう行動なさるのか。

ひとなみでは、これまで同様に「お坊さまがたが何を伝え、どう行動なさるべきなのか」を皆さまと一緒に探りつづけ、注目すべき僧侶の活動を伝えつづけます。

やるべきことは、いままでと何ひとつ変わりません。

この記事を書いた人
『いいお坊さん ひどいお坊さん』(ベスト新書電子版, 2011)、『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』(啓文社書房, 2017)ほかの著者、勝 桂子(すぐれ・けいこ)、ニックネームOkeiです。 当サイト“ひとなみ”は、Okeiが主宰する任意団体です。葬祭カウンセラーとして、仏教をはじめとする宗教の存在意義を追究し、生きづらさを緩和してゆくための座談会、勉強会を随時開催しています。
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