お坊さんと、常識を覆して生き生きしよう!

終末医療における宗教者の役割を探る

昨年、尼僧の飯島惠道さんが、育ての親でもあった先代住職を見送られたときの体験談をFacebookでお話しされていました。私も5年前に自分の母を送ったときに似た体験をしていたので、意見交換させていただきました。それをきっかけに、「いつかは信州で終末医療についての座談会をしてみたい」とあたためてきたものが実現しました。

【参加者】
桑澤俊恵(上田・宗吽寺副住職)、岡澤 慶澄(金峯山長谷寺住職)、田口誠道(臨済宗長昌寺住職、行政書士)、飯島惠道(松本・東昌寺住職)、ラザロ保科正和(キリスト教牧師、医学者)、ナセル永野(世界宗教者平和会議、イスラム教徒)、三浦紀夫(NPO法人ビハーラ21、浄土真宗僧侶)、濱坂和子(大阪・行政書士)、桑海一寛(岐阜・大源寺住職)、遠山玄秀(日蓮宗上行寺副住職)、百瀬善之(真言宗智山派僧侶)、小林佑介(佐久・円満寺僧侶)、石原利惠子(ひとなみスーパーバイザー、石原企画)、Okei=勝 桂子(ひとなみ主宰、『いいお坊さん、ひどいお坊さん』)ほか26名
※アンケート未提出のかたの発言引用はなるべく控え、引用させていただく場合はイニシャルにて掲載させていただきました。

2012年6月4日(月)長野県上田市 「宗吽寺」にて

Okei 地元のかたにお集まりいただいて、と思っていましたが、大阪から6名、岐阜や新潟、千葉、東京からも複数と、遠方からも多数のかたにいらしていただきました。テーマへの関心の高さが伝わります。

最初に、皆さんお一人ずつ、このテーマの座談会に参加しようと思われたきっかけなどを、自己紹介を兼ねて一言ずつお願いします。

それぞれの死別体験

まず、私自身の体験としては、母を大腸がんで送ったときのこと。発見されたときには骨髄の中にまで細かいがんが進行している状態で、早ければ1週間、もって1ヵ月と言われ、結果的には1ヵ月半後に亡くなりました。尊厳死宣言をしていて、主治医の理解も得られ、もう手の施しようがないので余計なことは何もしない、ということで話がついていたにもかかわらず、主治医の下の先生からある日、「人工肛門をつけてみたい」と打診され、驚きました。余命数週間の人間に、なぜそこまで負荷をかけようとするのか。そこで、尋ねました。「それをすると、ひと口でも好きな食べ物が食べられたりするのですか?」と。「いいえ、そういうことはありません」。では、なぜつけたいのか。実験的にやってみたい、ということのほかに、何も理由がありませんでした。

また、卵巣がんで友人を41で亡くしました。彼女はもともとは信仰心などあまりなかったと思うのですが、余命数か月と言われてから「牧師さんを呼んでほしい」と言い、数日に一度いらしていただいて、お話しをしたり讃美歌をうたったりという日々を過ごし、精神的にとても安定した最期を迎えることができました。やはり、死に臨むとき、宗教のもつ力は大きいのだと感じました。

自分自身は、20代の終わりに原因不明のリンパ腺炎を患い、2年ほど闘病しているときに、「悪性リンパ腫かも」という診断をくだされ、臨死体験というほどではないですが、「長くないのかも」という気持ちで半年ほどを過ごした経験があります。その後は、なんとなくオマケの人生を過ごしているような、大きな病気をしたことのないかたとは少し違う気持ちで過ごしているのかなと思います。

仏教僧侶、イスラム教徒、キリスト教牧師。三大宗教が集まった座談会

岡澤慶澄 長野市篠ノ井の長谷寺から参りました。FB、ツイッターでご縁をいただいた勝さん、飯島さん、田口さんとのご縁で参加しました。

住職なので、お葬式ということでは毎月のように死に係わるのですが、そのときに、檀家さんたちとどんなふうに晩年を過ごされたかというお話しを聞かせていただきながらお葬式に挑むようにしております。生前からのおつきあいが深ければ深いほど、遺族と近い気持ちで入っていけるということはあります。そうはいっても、本当につらいところ、看取っていく場面では、いまのところノータッチです。これからかかわっていかなきゃいけないのではないか、お寺としても、人生のクライマックスの場面でもう少しお手伝いはできるのかなという気持ちは持っていました。

篠ノ井では仏教界の勉強会があり、中村元先生が1回目の講師でした。地元の病院と仏教界のタイアップという企画会議もあったのですが、病院のことは医者に任せておけばいいんだ、という結論になったのが印象に残った出来事でした。病院だけでなく、私たちの側にも、場づくりという課題がもっともっとあると思っています。

MKさん 上田市塩田から、岡澤さんの誘いで参加しました。尊厳死ということに興味があり、皆さんのお話しを聞いてみたいと思いました。お坊さんであるからには、生まれたときから死まで寄り添っていたい。それが、僧侶になってからの私の願いでした。お坊さんは死んでからでいいんだ、といわれると、それでいいのかと感じます。祖母ががんで70代で亡くなったときに、最後は5つの点滴につながれて生きていました。それが本当に生きていることなのか、祖母の横で泣きながら疑問に思いました。

大切な人が亡くなるときに、1分1秒でも生かせておくほうが本当によいことなのか。勉強したくて参加しました。

MZさん 松本から来ました。行政書士で、成年後見の仕事をメインでやっております。お年寄りのかたや病気のかたのお悩みの相談を受けることもあります。自分の中でも相談を受けるにあたっての悩みや迷いがあり、研修会に出たり本を読んだりしております。今回、田口さんにお誘いいただいて参加しました。よろしくお願いします。

Kさん MZさんから誘われて来ました。主に精神障がいをお持ちのかたを支える医療法人で働いています。自分の両親の亡くなり方もありますが、生きていることと死ぬことの境はどこなのか、ということを日頃から考えていました。

父が11年くらい前に自死しております。私はそれほどショックもなかったのですが、その後母が自宅で管を通して亡くなりました。臨終の数週間前に「殺してほしい」(それぐらい辛い)と言われ、それ(殺しても)いいと思う関係性でもあったのですが、時間がたってある程度消化できてはいるんですが…、いざ他人を相手にしたときにそういう気持ちの整理はどうつけたらいいのかと思いました。

百瀬善之 上田市丸子町の長泉寺の住職です。岡澤さんからお話をいただき、ぜひとも皆さまの意見を聞いてみたいと思いました。隣町の東御市で生まれましたが、そこには小さな診療所があります。その院長さんがたまたま長泉寺の檀家さんで、院長のお父さまが亡くなってしばらくしてから、「ぜひ診療所で仏教の話をしてほしい」と。大きな病院から送られてきて、最後はそこで亡くなるかたが大きな病院です。院長さんや看護師さんがどういう気持ちでそのかたがたを迎えたらいいのか、と。その後、数回お話をさせていただいています。

実際は、看護師さんやスタッフに向けて話をしたのですが、実際に深く聞いてくださったのはデイサービスに来ていた人でした。午後の2時3時ですから眠い時間帯ですが、眠いそぶりもせずに真剣に聞いていただいている。

小林雄介 佐久市円満時の副住職です。岡澤さん百瀬さんから青年僧の集まりでお声をかけていただきました。人間としても僧としてもまだまだ勉強中です。身内でもまだまだ死に係わることが少なかったので、こういう場で吸収できることがあればと思って参加しました。

ナセル永野 イスラム教徒です。WCRP世界宗教者平和会議という、諸宗教による協力で平和を実現するという活動をやっています。3・11以降、宗教と医療の問題というのが去年からクローズアップされていまして、イスラム教徒には何ができるのか?を考えています。その中で、何かを勉強できればと参加しました。個人的には、祖父母も両親も存命ですので、人の死にふれたことがないんです。身近な死といえば、犬がチョコレートを食べてしまい、死ぬんじゃないかとハラハラしました。ホスピスって、このハラハラが常にある状態なのかなと想像し、それはシンドイだろうなと思いました。死を知らない宗教者ですが、よろしくお願いします。

遠山玄秀 千葉県の日蓮宗上行寺から来ました。グリーフサポート、終活をさせていただいています。もともと檀家9軒しかないお寺でしたので、船橋という人口60万人くらいのベッドタウンに父が別院をつくりました。別院はゼロからのスタートでしたので、地元のかたというよりはどこかから出てきてお寺との縁がないかたがメインターゲットでした。その中でなにを要にしようといったら、グリーフケア・グリーフサポートなど心の相談でした。

亡くなる前でも、きちんと対話をしておけば、グリーフの状態にならない、ということをしばしば考えまして。お医者さんにそういった話もしますが、響くかたばかりではありません。そういったことを考えながらまいりました。

桑澤俊恵 今回、会場にお使いいただいております、ここ真言宗智山派の宗吽寺の副住職です。同じ宗派の岡澤さんからお話をいただき、個人的にも興味深いテーマでしたので、皆さんのお話をうかがいたいと思いました。

3年前に母を末期がんで71歳で亡くしました。手の施しようのない状態でがんが発見されました。最初は余命3ヵ月と言われたのですが、だんだんと宣告される期間が短くなり、ひと月少々でなくなりました。

それ以来、身近な人をどのように看取るか?ということを考えております。ひと月少々の間に考え実行したことは、母がどうしてほしいのか?安心してもらうにはどうしたらいいのかということでした。もう一つ感じたのは、「この人は日々枯れてきている」ということ。しかし点滴も受け、現状の医療の状態に任せました。実は、深夜に「(器具を)全部はずしてくれ」と言った日があるんです。夜中でしたのでそれはできず、父も翌朝看病に来るつもりでいますから、朝までこらえてもらうしかないという状態で。その後1日くらいで亡くなりましたが、最後の願いをかなえられなかったこと、そして、たとえ外せたとしても疑問が残るだろうということで、知りたいことがたくさんあります。皆さまのお話をたくさん伺いたいと思います。

ラザロ保科正和 バプテスト派の牧師です。私は牧師ですけれども、生まれた家は、天台宗宗門から独立するといって最近新聞をにぎわせている長野の善光寺玄證院です。中学卒業までお寺にいました。いまは従兄弟の福島が住職をしています。病理学を専攻し、病気とは何か?や免疫について考える基礎医学を専門にしております。救命救急医学の学会にも所属しています。終末期医療のことについて宗教者の話し合いの会があると聞いて参りました。ちょうど今年の11月に、日本救急医学会で大きなシンポジウムが京都で組まれているんです。そのテーマの一つが終末期医療であり、その資料を見ているときに、勝さんからメールがあったので、本当に不思議な神様のお導きかなと感じました。

父が60歳でがんで亡くなりましたが、私が主治医となり、薬の量の調整もしました。もともと病理学者ですので、60年生きてきた父がなぜ死ななければならなかったのかを学問的にも残しておきたかったので、辛かったですが、私自ら病理解剖しました。

変な牧師ですのでヘボと呼ばれています。どうぞよろしくお願いします(笑)

濱坂和子 大阪の箕面から参りました。行政書士です。仕事上、人さまの終末にかかわることが多々あります。自分が最後を迎えるときに、管でつながれたい、と思う人はあまりいないと思うのですが、実際は、その通りに死を迎えられるかたはほとんどいらっしゃらない。みなさん意思は持っていらっしゃるけれども、なかなか思いが伝えられないのではないかということを感じ、仕事の上ではそういったことを少しでもお手伝いできないかと考えたりしております。

主人の祖母が101歳で亡くなりました。90代の後半からは自宅での暮らしが難しく施設にいました。一度風邪で体調を崩したときに、管でつながれてしまいました。100歳過ぎているのに「胃瘻をつけますか?」ときかれ、いりませんと言いましたが、なぜ100歳過ぎた人に胃瘻をつけますかと聞かれるのかなど、疑問に思うこともあり、今日はヒントをいただきたくて参りました。

Gさん 4年前に母が亡くなりました。C型肝炎からの多臓器不全でした。2つの病院から入院を拒否され、終末医療で管をつけることはイヤだったようで、私が家で面倒をみました。「あと半年くらいです」と言われた日の6日後に、夜中に血を吐きながら亡くなりました。かかりつけに電話をしても、「また明日にしてください」と言われ、朝まで苦しむのを背中さすり血を吐くのを洗面器で受けながら看護しました。

病院到着後30分で心拍が停止しました。あんなにまじめに一生懸命生きてた人が、なんで最後こんなに苦しまなあかんねんと。それやったら病院でモルヒネとかうって苦しまないように死なせてくれたらいいのにと。1年くらいPTSDになり、テレビで血の場面を見ると吐き気がしたりと普通の暮らしができなくなっていました。

いままでは無宗教だと思っていたのですが、今考えたら私にグリーフケアをしてくれたのはお坊さんで、そのお坊さんとのつながりがあって、グリーフサポートなど、身近な人がそうなる前に心の準備をしてもらえたらという活動のお手伝いをするようになりました。

大阪からビハーラ活動を実践する三浦僧侶、がんと闘病中のO氏ほか列席

三浦紀夫 大阪から参りました。真宗大谷派の僧侶です。ただ、所属しているお寺に行くことも稀で、皆さんがイメージされているお坊さんの活動はあまりしておらず、福祉の現場でビハーラという活動をしています。その中で、看取りもしています。

同じ施設のスタッフであるNさん、在宅看取りを体験されたご遺族のかたなどと一緒に、大阪を早朝に出て、車で駆けつけました。

Nさん 大阪から来ました。大阪市平野区にシェアハウス中井という100人規模のマンションがあります。自立支援マンションでもあるので、知的障害、身体障害、高齢者のかたがいらっしゃいます。そのマンションは7年目に入るところです。「NPO法人ビハーラ21」というのが数年前に立ち上がり、超宗派の僧侶や宮司さん、私のような一般参加者もいます。私は現在、その法人の理事長という立場で活動しております。

単身のかたが多く、知らせるご家族もないということで、いろんな人生歩まれたかたが一人で暮らしています。介護事業と、看取りのボランティアと、両面でやっています。よろしくお願いいたします。

Oさん 大阪から来ました。20年前に父をがんで亡くしました。父は自分で告知を受け、すべて一人で抱えていました。仕事中に倒れ5日後に亡くなったのですが、倒れたときにポケットを探したら、「自分が倒れたときは、ここへ行け」というメモがありました。

自分も5年前からがんで、半年の治療で治ったつもりでしたが、わずか半年で再発し、余命1年と言われました。父の姿を思い出しながら闘病し、5年が経ちました。よろしくお願いいたします。

Nさん(日蓮宗) 新潟市の端にある山と海に囲まれたお寺に3年半ほど勤めております。出身は大分県です。いまのお寺は、24~5年前に永代供養簿を始めた先駆的なお寺です。お墓を縁にいろんな人がつながっていくのを目のあたりにして刺激を受けました。

お墓のことを考えていたら、その前のことを皆さんが考えるようになり、お墓をきっかけに、生きている皆さんがつながっていくのを見てきました。

私自身は母を8年前に亡くしており、そこから宗教的観点が変わってきたということもあって、参加しました。

桑海一寛 岐阜県から参りました。20代で住職になりましたが、「桑海さんとはお葬式のときしか会わないね」と言われることに疑問を持ちました。昨年、母方の祖母が14年の闘病をへて亡くなりました。胃から穴をあけて生きたので、医療の問題にも関心をもちました。

読経に終始していましたが、終活、看取り、葬儀がすんだあとの相続なども含めトータルで活動できたらと思い、参加させていただきました。

石原利惠子 東京から参りました。私一人が葬儀屋だと思います。亡くなったあとの仕事ですが、いまは生前見積もりなども増えました。家族が余命1ヵ月だと。緩和ケアがあきしだい移るが、1ヵ月もつかもたないかわからないというときに、「誰に連絡したりいんですか?」と聞かれます。60歳で退職前に亡くなるので、会社関係で親しかったかたにはお話をして、「最後に会いたかった」といわれないように、お話をしたほうがいいですよ、と申します。会いたいかたには会わせてくださいと。

母が肝臓がんで4年前に亡くなりました。やはり手の施しようがない状態でした。そうしましたら母も「家に帰りたい」と。肝性脳症起こしますので、急変すると病院に行くのですが、最後は肝臓が破裂して急にくるしみだしました。「病院に行きますか?ご自宅でこのままにしますか?」と。母が日頃自宅にいたいと言っていたので、私は独断で、「自宅にいさせてください」と言いました。「モルヒネを投与しますから意識はなくなりますがいいですか?」「とにかく痛みを抑えてください」

娘(孫)が明け方息をひきとるまでずっと、手をにぎって話しかけていました。一度だけ、「おなかすいたね」と母は言いました。そのときに、どんな宗教よりも、手を握れる身内がいるということが大事だと感じました。

<ひとなみ>のHPにも書きましたが、枕経は生きているうちにあげるものだと思います。身内の気持ちを癒し、心の安心を与えることが、宗教者の役割だと思います。牧師さんは枕元でお祈りしますが、仏教に関しては、ビハーラを受け入れる土壌が日本にはまだまだありません。それを皆さんがいかに協力して社会へ浸透させていき、安心してこの世を去れる、遺された者が安心して泣ける、そういう土壌をつくっていくことが、宗教者の仕事だと思います。

亡くなったあとで葬儀屋さんが来て、その後にお坊さんが来て、葬儀のときと回帰法要のときだけしか会わないのでは、お寺さんのほうで仏縁を絶ち切っている状態だと思っています。

関西では月参りもありますし、亡くなったときも七日ごとのお参りがあります。しかし東京では、月参りもありません。まして無宗教であれば何もありません。それに対して、東京のお坊さんは、なにも手を出していない。それが現実です。葬儀屋が、「こうしたらいいんじゃないですか? ああしてみてはいかがですか?」と問いかけますが、動かない。それは、本当は宗教者の仕事だと思っています。

一人の人の死を核にして、すべての人が関わらなければならない。それが中途半端で終わっているのが現状だと思います。

意欲のある皆さんの声を聴かせていいただき、明日からの仕事につなげたいと思います。

「枕経」は息があるうちにしてこそ、に賛同意見が続出

田口誠道 合併する前は上田市の隣だった丸子町の長昌寺の住職です。5年前に行政書士の資格も取り、勝さんともそのご縁です。父もサラリーマン、自分もサラリーマンですが、ふとしたきっかけで僧になりました。製薬会社のMRという、病院をまわってお薬の提供をする仕事でしたが、東京の大きな病院の先生がたとおつきあいができました。

お坊さんになりたくなって会社をやめて修行にいくことにした、という挨拶をしたときに、大きな都立病院の心臓外科の先生が、「どの宗派ですか?」「臨済宗です」「禅宗ですね」「先生ご関心あるんですか?」「私は科学という領域で死と向き合っている。この先は宗教の領域なのかなと感じている。僕が得られない答えを、あなたが修行してきたら求められるんじゃないのか」と言ってくださり、それがずっと心にひっかかっていました。

数年前に<ひとなみ>で石原さんに、いまの「枕経に亡くなってから言っても遅いわよ」という話をされ、浄土系では臨終のときに南無阿弥陀仏とお唱えして阿弥陀さまのもとへ導くということが、ちゃんと作法としてあるということも知りました。

自分の寺の総代を42年間されてきたかたが先日亡くなりました。4ヵ月入院して旅立たれたんですが、タンを取るためにのどを切開して、体中たくさんの管がつながれ、声も出せない。病室にいったら私の顔を見て、布団から手を出して握手してくれたのですが、その力がすごく強かったんです。涙を流していました。納骨をしたときにご遺族から聞きましたが、本当に最後のときは全部はずしたそうです。「最後にアイスを食べたい」と言ったそうです。アイスをありがたそうに掲げて食べ、「うまい」と言い、その日の夜に亡くなられたそうです。

旅立つその瞬間、臨終の間際に、最後の歓び、人として感謝ややすらぎがもう少しあってもいいのではないか。少しでも不安や恐怖が減っていけばいいのでは。そこに宗教が関われる。江戸時代は自宅で亡くなる人が多かったでしょうから、そろそろだ、というときに自宅のそばで呼ばれた人といえば住職だったのではないかと想像しています。

不可能な取り組みでもないし、かけ離れたことでもない。ずっと考え続けてきたことでしたので、ぜひにと参加しました。

Iさん さきほどの石原さんの枕経の話には、本当にその通りだな、と衝撃を受けました。

臨済宗建長寺派の和尚さんで、臨終のときに実際、家族から呼ばれて枕経をしたかたと会いました。子どものときどうだった、何がしたい、誰に世話になった、そういうことを和尚さんに立て続けに話されたそうです。

だんだんに朦朧として口数が少なくなったときに、和尚さんはずっと手を握っていたそうです。

ここからは私の主観ですが、「あとよろしく頼むよ」と表情がゆるんだように見えた、とその和尚さんはおっしゃいました。

葬儀での引導は亡くなられた後になりますが、臨終のときの枕経こそ、本当の「引導」なのかなと。

では、どうすればそれが可能になるのか。家族から連絡をされていくわけですが、家族は別れたくないわけですから、そこで引導をどう渡すのか。どうすれば呼んでいただけるようになるのか。みんなシャキシャキと元気でいるころから何十年もかかわってこそであろうと。それだけに、日々のお付き合いをばかにできないと感じております。

飯島惠道 今日は三才山トンネルで工事があり、松本から2時間かけて来ました。いつかはまた<ひとなみ>さんの座談会を私のお寺でも、と思っています。

赤ちゃんの頃から私を引き取って育ててくれた先代住職(尼僧)が、胃癌での抗ガン治療を4年ほどへて、前の晩は元気にまた明日ね、と言ったのに翌朝起きたら亡くなっていたという体験をしました。

いまは僧侶ですが、看護師の資格もあり、緩和ケア病棟で働いていました。大学でも「仏教と医療」という論文を書いたり、ずっと終末期にかかわってきました。

育ててくれた師匠を緩和ケア病棟で看取りたかったのですが、先代住職は病院嫌いで、わたしがいくら誘っても読経に出かけていってしまうような人でした。結局、自分の建てたお寺で、管につながれることもなく、希望通りに亡くなったので、これでよかったのかと思いながらも、最後は手をにぎって話しかけたかったと葛藤があります。

いずれは緩和ケア病棟でお願いしますと医師に言いながらも、輸血だなんだと治療を優先に走り回る病院にいてもらうことしかできなかったことも、もどかしく思っています。医師が上で看護師が下というヒエラルキーがありました。もっと強く言えばよかったと。

胃癌の告知のされかたも、80歳をすぎているのに、非常に高圧的な告知のしかたでした。本人も私もショックを受けて泣いてしまい、そのままセカンドオピニオンに向かいました。セカンドオピニオンのときも結果は同じでしたが、告げられ方はずいぶんと違って、納得のいくものでした。その最初の告知も、心の傷として残っています。

さきほどから話題になっている枕経については、私も同じようなことを考えております。

病院での看取りと在宅での看取り、両方を体験していますが、そこではお看取りはするんですが、職域を超えてしまうので、読経はできません。できれば両方できたらと思いますが。

一度だけ、ご理解をいただいて、枕経に似たようなことをさせていただくことができましたが、1ケースだけです。

月参りで日々過ぎていく毎日ですが、引導を渡せるつながりの深さはあると思うのに、尼寺なので、臨終のときは大きいお寺の別の導師が行きます。ここにもヒエラルキーがあります。

病名を告知されたあたりから、菩提寺の住職がかかわってもいい。エンディングノートを書くなら菩提寺の住職と相談しながら書くということがあってもいい。もう少し変わっていってもいいのではと思っています。

Okei ありがとうございました。
じつは私の母は、なんら信心深い人物ではなかったのですが、祖父の後妻で私からみると義理の祖母が亡くなるときに、こんな話をしたんです。

三途の川の向こうへいったら、おじいちゃんにも会えるし、昔知ってたいろんな人とまた会えるし、楽しいことばっかりなのよ。なんにも怖いことなんかないから大丈夫

と。肺炎でたいへんに苦しいなか、「怖い、怖い」と怯えていた祖母は、その話を聞いて安堵したように仏壇に向かい、「ありがたい、ありがたい」と手を合わせていました。

母にとって義理の祖母は姑であり嫌味もいろいろに言われ確執がありましたので、できることなら早いところ逝ってしまってほしいくらいに思っていたかもしれないのですが、それでも、そんな話で祖母は安心したんです。

いま、来迎図や地獄絵を“感じられる人”は、どのくらいいるのだろう?

僧侶でなくても、誰でも小さい頃にお寺で来迎図のようなものや、地獄絵を見たことがあり、普通の人が当たり前に、「あの世」の話をすることができた。高度経済成長真っただ中を過ごしてきた、物質文化大好きな母でさえ、そういった話をできていたんです。20~30年前は、普通の人がそういう話をできていた。それがなくなってしまった今、私たちはどうしていったらいいのかということを、お坊さんが、ということではなしに、「皆で」考えたいと思います。

それから、今日はイスラーム教のナセルさんとキリスト教のラザロさんがいらしています。イスラーム教には僧侶に当たる聖職者がいません。その生活に根ざしたイスラーム教では、臨終期をどう捉えているのか。また、もともとはイスラーム教と同じ経典だけれども、キリスト教ではまたどのように違った角度で捉えるのか、といったことをうかがってみたいと思います。

また、私たち行政書士は相続でもめてしまうご家庭を頻繁に見かけます。お坊さまなり牧師さまなりが、余命宣告を受けたあたりから入っていかれることで、「なぜ宗教者を呼んだの?」というあたりから、いま中心となっている臨終に向かわれる人物の考え、主義主張をうかがい、人生を振り返る期間が数ヵ月できてくるので、あらそいになる相続が減るのではないかという福祉的な効果も期待できると思います。そのあたりも話題にしながら、考えていきたいと思います。

三浦 私どものNPO法人ビハーラ21も、今日のような座談会から発足したと聞いています。ほとんどがお坊さんで、看取りをどうしたらいいか、現場に僧侶が立ち会うにはどうすればいいか、という座談会がスタートでした。

ところが、法人を立ち上げ、実践現場をつくり、せっかくここまでつくりあげても、自坊の仕事があるご住職は、なかなか時間がなくて看取りまでできないんです。そこが大きな課題です。

Okei 三浦さんは、所属寺院にあまり顔を出さずに済んでいる関係はどうやってつくりあげたのですか?

三浦 そもそも仏事関連ビジネスに関わっていたとき、「なぜお寺は、身近な人を亡くして嘆き悲しむ人々と真剣に向き合わないのか」、と、お寺を回って話し込んでいたんです。相当厳しく怒られることもありました。「君みたいな人間に言われる筋合いはない」などと(笑)。たいていのお寺は、「それではいけませんなぁ」と言いながら、何もしない。そうした中で、「君、本当にそう思うなら、自分が僧侶になって、看取りや寄り添うことをやりなさい」と言ってくれたお寺が、いまの所属寺院なんです。

Okei なるほど。いま常駐されているかたは、どういったご縁で見えているんですか?

三浦 私のほかに、元住職など計3名の僧侶が、スタッフとして常勤しております。

Okei マンションから派遣される僧侶はいっぱいいると思うのに、そういうかたがたは、NPOへは流れていかないんですね。

石原 葬儀屋の立場から。そういうお坊さんたちは、ビジネスでやっている意識のかたがほとんどで、日給いくらという形のビジネスなので、ボランティア的なところへは行かないと思います。

Okei お寺がある人より時間はあるけれど、意識はもっとダメということですね(笑)

一同 (笑)

石原 お経はたしかにうまい。聴かせるお経、遺族が「すごくいいお経でしたね」と言うような、調べのような音楽のような読経です。でも、法話はできないし、地域のかたとのおつきあいもないので、死んでからのおつきあいだけで十分と思っているでしょう。

Okei その日本の仏教の現状を受けて、イスラム教とキリスト教の立場からお話を。

ナセル まず枕経の話から。イスラム教は、死ぬ前に唱えるほうが主流です。しかも、臨終のとき唱えるコーランが数段階に分かれているんです。

まだ死ぬ可能性が低いときはこのコーラン、ちょっと危なくなったらこの節を読む、もう無理だとなったらここ、となっている。ある段階にくると全員が遺言をまとめ始める。

そして亡くなってからのお葬式は3分で終わり、費用もほとんどかかりません。病院から自家用車で運んで、モスクでおきよめをして、包帯で巻いて簡単にお別れをして、24時間以内に土葬します。

重きを置いている部分が、日本の仏教と逆なんです。死に向かっている最中に重きがあるので、死後は簡素です。周囲の外国人のイスラム教徒に聞くと、死んでからお金をかけるってもったいなくない?という考えの人が多いです。日本の仏教が死後にお金をかけることは、理解しづらいようです。

お経も、もともとは生きている道を説くためのものなのに、どうして死んだ人に唱えるんですか、という質問に、僕は答えきれないです。

三浦 我々の宗派の考えでは、亡くなった人を縁にして、仏の教えを皆さんと一緒に聴かせていただいている、ということなんです。亡くなったかたが主役だけれども、亡くなったかたのためだけではない。浄土真宗では正信偈を朝夕にどこのお家でもあげますが、それをお通夜や葬儀でも読んで、自分にとって死とはどういうことなのか向きあっていくということだと思います。

田口 そうですね。亡くなったかたの人生は終わっているように見えますが、そこに集っている人たちはまだ生きていて、その人たちにしてみれば、生きてきた時間の中に起きた近しい人の死であるということです。普段、死というものを見つめたことがない人たちが、そこに集って、死生と向き合う時間。仏教が、というよりはこの国の先人たちは、そうした時間を大事にしてきたんだと思います。

誰かの死をどうとらえるか、は集っている人からみれば「生きかた」なんです。ただいまは、それがうまくかみ合ってないんで、何をしているのか伝わらず、高額を払うくらいなら僧侶はいらないという流れになっているんだと思います。

ナセル だからこそ僕は、直葬とか葬儀の簡略化が横行しているのは、死というものを軽んじる傾向で怖いんじゃないかと。

石原 それでもいいですよ、と言うお寺さんが増えていることが問題なんです。古い檀家さんが「お金がないんです」と言うと、「じゃあ、それで(直葬で)いいです」と。ちゃんとお宅へ行けば、それなりに趣味のものなど揃えているし、生活にそこまで困っているわけじゃないと私たちにはわかるようなご家庭に対しても、言われるがままOKしてしまう。

Okei ぼったくっていると思われたらいやだ、という気持ちもあるんでしょうが……。あと、葬儀に関する大きな誤解もありますよね。「小さくすればお金がかからない」と皆さん思っているけれども、ある程度人を呼んだほうが、いただいたお香典でトントンになるということもあるのに、ともかく小さくすれば安く済む、という考えがひろがっている気がします。

ナセル 仏教の葬儀に比べると、イスラム教だと葬儀は格安です。主に土葬のために地面を掘り起こすときのブルドーザー代とかです。

そのお金が捻出できない人の場合は、コミュニティでカンパします。

ムスリムは葬式で泣かない

話は飛びますが、お葬式は旅立ちなので、僕たちはお葬式で泣いてはいけないんです。出発なので。終末期というよりも、「出発準備期」なんですよ。

(出典参照)
※あなたがたは来世よりも、現世の生活に満足するのか。現世の生活の楽しみは、来世に比べれば微少なものに過ぎない。(9:38)
※預言者ムハンマドは「死者はその者への涙のために墓の中で苦しめられる」と述べた(ハディース)

三浦 卒業式で涙を流しちゃいけない、と教えているような感じですか?

ナセル 卒業式というよりも、いいところに旅立つ、留学みたいな感じでしょうか。生まれ変わりの考えがあるので。泣いちゃいけない、というのは、泣くと、旅立つときに遺した人の事が心配になるから、天国に行くのに邪魔になるから、涙を見せないほうがいいと。

桑海 イスラム教に天国っていう概念はあるんですか?

ナセル あります。来世も、生まれ変わりも。

Okei 次にラザロさん、キリスト教の見地からはいかがでしょうか。

医療とキリスト教の見地から

ラザロ  キリスト教の話の前に、医療のほうから。

日本の医学・医療に対する言葉の混乱が広がっているなと痛感します。たとえば、「延命治療」という言葉がありますが、延命治療という概念は本来ありません。人間が何をしても生きられなくなるのは130年と言われています。130年生きられる人が、事故や、病気で、もっと前に亡くなる。130年生きられる人間を131年以上生きられるようにするなら延命治療なんです。しかしそういった技術はいまないわけだから、延命ではない。「延命治療」という言葉にある騙しに気づかないといけない。

一同 なるほど!

ラザロ また「告知」と言いますが、本来、命にかかわる最も重要な個人情報を、検査の結果としてお知らせするだけのことなんです。「風邪という病気を告知します」なんて言う人は、誰もいないでしょう。「告知」という言い方をすることで、病気との向き合い方を間違ってしまうように思うんです。

「新型うつ病」というのも、うつ病の定義には一致しておらず、うつ病ではありません。医療の周辺には、実態とかけ離れている言葉がたくさんあります。

亡くなった患者さんを解剖してきた立場から言えば、尊厳死というのは、管をつなぐ・つながないという問題ではなく、その人が生きてきた人生にどれほど尊厳をはらうかという念をもって接することができるかということです。

ビタミンB群が足りない患者さんに、パン食を奨めました。小麦はビタミンB群がありますから。そのかたがふり返って私にひとこと言ったんです。「さっそく今日の夕飯からパン食にいたしますが、そのパンは、食前・食後・食間いついただいたらよろしいでしょうか」と。言われてしばらくは、なんのことだか私にもわかりませんでした。しばらくしてから、「あ、薬と思っていたのか!」と。

笑い話のようですが、実際にあったことです。医師の側が、会話が成立していると思っていても、これほどズレてしまう。生死の境目で切羽詰ったところであれば、もっと思いっきりズレてしまうと思います。

それから、先ほどから仏教の問題は出ていますが、お坊さんは、やはり袈裟を着るべきだと私は思います。見舞いに来るときは背広でもいいけど、霊安室ではきちんとお袈裟の意味・大事さを説明したうえで、着替えたらいいじゃないですか。

家族を自死で亡くされたかたの大きな会合で、私は救護係として参加することがあるのですが、お経があると、遺族のかたは本当に落ち着いていくんです。

仏教が一般の人に定着していくには、やっぱり出歩き続けなきゃいけないと思います。牧師は仏教のお坊さんの足元にも及んでいないなと思うのは、お坊さんが一軒一軒頭を下げて托鉢をして回る姿です。クリスチャンは、牧師は誰も一軒一軒まわることなどやってないんです。だから全人口の8%しかいかない。

たとえば病院に入り込んでいかなくても、生前に、お坊さんと一緒に戒名をつくる、そのことで死を見つめる運動をはじめませんか?と言いたい。よく死ぬこと、を考えることは、よく生きることにつながるんです。

宗教者が死亡時刻を決めることもある!

僕は、医者が死亡診断して死亡時刻を決めるものだと思っていましたが、ひっくり返された経験があります。

ものすごくプライドの高い人で、見舞客を罵倒するので、誰も来なくなった。かわいそうだから私が行ったんですが、意地を張って無視するわけです。そのうちに、「地下の部屋(霊安室?)に移ってると思ったんだけど、まだ病室に残ってたの?」と半ば嫌味を言って。そこから、親しくさせていただくようになったんです。

そのかたがいよいよという時になって、呼吸が停止し、神経反応もなし、という状態になりました。ところがその人はカトリックなので、亡くなるときにやる儀式がある。神父が来るまで持たせてもらえないかと家族が言うんです。

モニター見ながら心臓マッサージをして血圧を60くらいまで上げたんです。でも30分くらいたって私もへとへとになって、もう持たないから、いる人だけでお祈りを、と言ったところで神父さんが現れました。

結局、オリーブオイルを塗る儀式(病者の塗油といいます)が終わったとき、死亡診断時刻が認定されました。宗教家が、亡くなるかたの死亡時刻を決めることがあるんだと。

宗教家は病室に入っていったほうがいいです。入って何をするかといったら、患者さんと同じ呼吸をするんです。そうしたら、気持ちが通じて亡くなるタイミングもわかってきます。

宗教と医療というのはもともと重なっています。hospitalは、もともと宗教施設だったんです。昔は、けが人や病人を見たら「あなたの国ではどうやって治しますか?」と話しかけなければいけないというルールがあり、そこでおもてなしをする施設(hospitality)、ということでそれが病院、hospitalという言語のもとになった。

もともと、宗教と医療は一体だったんです。宗教家も、腰を引いていたらダメ。出て行かないと。あなたの人生と命に心から敬意をはらって、守りたいのだ、と。

病院がいつか、裏口からじゃなく正面玄関から、亡くなったかたを皆で送りながら表から出られるようになればいいと思います。

キリスト教の考えからいえば、この世の人生は練習台。天国へいってから本当の人生が始まるんです。

「またお見舞いに来ていいですか? 会っていただけますか?」と聞きます。「また来てください」となったときに約束させていただくのは、「いまのところ、あなたのほうが先に天国へ出発する可能性が高いです。しかし、私が交通事故で明日天国へ還るかもしれない。どっちが先に天国へ還るにしても、ひどい奴だった、とチクるのはやめましょう。どちらが先に還ったとしても、あの人は素晴らしい人だったと報告しましょう」、と(笑)。必ず、次へつなぐんです。イエスさまは天国の家が完成したときに迎えに来てくださる。そのときは、まず死者がよみがえり、それから、生きている人が迎えられると。

Okei 日本の仏教で定着している「回帰法要」は、あの世で生き直すという意味合いだったのではないですか? だから隠居と言って、晩年になるとこの世のことから離れて、あの世でどう生きるかを考えましょうということなのだと聞いたことがあります。故人はあの世で33年なり50年なり生きているので、この世での七五三や成人式のように数年に一度縁者が集まって節目節目を感じていく儀式なのだと。そこのところをお寺さんがあまり説明なさらないので、皆さん「あんなよくわからないものに5万も10万も払うのは嫌だ」となって、省略したり、法要は要らないとなったりするんではないでしょうか。

石原 このお寺には、「十三仏信仰」という小冊子がありますね。三十三回忌までの意味をきちんと書いてあります!

桑澤 この十三仏信仰は、中国でいろいろなものと融合したものとも言われていますが、日本人に合った習慣、日本人の心に合った慰めかたというものがあって、いまの形式ができあがっていると思います。私たちも、そこに重点を持って進んでいく必要があると思います。それに加えて、輪廻を前提として考えていく(死んだら終わりではない、どうやって死ぬか、よい思いで死ねるかということが次へ続いていく、今生もよくしていかなければいけない)ということも大事だと思います。

さきほどの、イスラーム教で病状によってコーランが違うということについて。私はチベットの仏教も学んでいるのですが、その中には人が死んでいく時、身体がどういう状態になっていくのか記されているものもあります。

回忌の法要は、亡くなったかたの追善のために行っているということも重要です。今ここに生きている人が、回向(自分の積んだ功徳を他者に振り向ける)するということです。

また、最期の呼吸を合わせるということがありました。真言宗では、「阿息観」という瞑想法があります。「ア」の中に悟りのエッセンスが凝縮されていると考えて瞑想するんだという考えがあります。これは梵字の「ア」を示しているのですが、ア字はとても重要な意味を持ちます。「アー」という声を出しながら呼吸を繰り返し、瞑想していきます。もし、最期の迫った方が、この「ア」の声とともに呼吸できれば、それは功徳を積むことにもなり、最期をよい状態にすることができると思います。

「わかってもらうために、どう伝えていくか」が、宗教者の課題

Okei バランスが欠けた要因として、宗教よりも科学信仰を宗教とするような時代が数十年あって、そのために経済的には潤ってきたのだと思いますが、医学信仰、科学信仰にひたってしまったいまの人たちには、来迎図も荒唐無稽にみえる。なんで昔の人はあんなものを信じたんだろう? という感覚のかたが多数だと思います。そうしたなかで、医療と宗教がもともと一つだったのに離れてしまったことと、根っこは同じではないでしょうか。

桑澤 あの絵で伝えたかったことを、いまの時代の人たちにわかってもらうために、どういうふうに伝えていくかが、私たちの課題だと思います。

石原 お経も、翻訳された時代のままなので、聞いている人は、バックミュージックとして聞いてしまうんです。どういうことをとらえるべきなのか、そういう学問をつくっていかない限り、BGMでしかない状態は続くと思います。

私ども葬儀屋でさえ、少し知っているお経については、「こういうときに唱えるお経ですよ」などと言葉を添えます。そうしてもらえると、送る遺族も心が穏やかになりますし、こういう意味があるんだ、と、お寺離れしていた人たちが戻ってくるんです。

お経をあげているからいい、自分は勉強してきたから意味もわかっている、それだけではダメなんです。漢詩も何も知らない人が、「いま、どういうことをやっているのか」がわかる、ということが大事なんです。訓読で読んでも、何を言ってるかわからないんです。だから邦語訳しろと言っているのではありません。どういう気持ちで、どういうことが行われているのか、ということがわからないと。

桑澤 ご詠歌をいっしょにお唱えするということがあるといいですよね

石原 ご法話をなさらないお寺が多いというのもあります。「ちょっとでもやってください」とお奨めしたこともあるんです。そうしたら、檀家さんたちが「うちの住職、法話をしてくれるんだ!」、いいこと聞いた、と喜んで帰っていくんです。

岡澤 逆もある(苦笑)。

Okei 高飛車な、押し付けるようなご法話で、「もっと短くていい」と言われるケースもたしかにありますね。大事なのは、知識の披露ではなく、「何をお伝えしたいか」ということがきちんとあってのご法話であることでしょう。

東京だけが異質なのか、派生する話なのか

三浦 東京が異質なのでは?

Okei 関西は月参りもありますので、もっとお寺との距離は親密だと思います。ただ、地方でも大きな都市になりますと、檀徒関係をもたない人口割合がけっこうありますので、状況は似ていると聞きます。

三浦 法話をしないお坊さんが多いわけですか?

Okei 「法話をすると、嫌われる」と思い込んでいるお坊さんが相当数いらっしゃる、ということでしょうか。それは法話だからいけないのではなく、知識の披露になってしまっているから嫌われるだけ、だと思うのですが。

遠山 東京近郊で基本的に派遣みたいなことを担っていますが、法話をすると、内容はなくても法話をするだけで、とても喜ばれます。

石原 お経と違ってわかりやすいからです。例を挙げて、わかりやすく説明されるからです。意味のわからない40分のお経よりも、具体例があってわかりやすい5分10分の法話のほうが喜ばれるでしょう。

ラザロ 動物と人間の違いで、人の思いを超える何者かの存在に気付いた存在になったとき、動物が人になった、という社会学の解釈があるんです。ですから、宗教なんて信じてない、というかたは、動物なのかもしれない(笑)

医学の「医」の字は、昔は違ったでしょう? ご存知ですか。少し前は、「醫」という字。その前は、「ノk」(イ・くすし)だったんです。

これ、「投」げた「矢」を箱で受け止めて守る。その下の部分が、はじめは「巫女」の「巫」が入っていたんです。これが本来の、「医」の字です。

もともと医療というのは宗教的なものだったんです。そこへ科学的なアルコール消毒が入ってきて、「巫女」の「巫」が、「酒」の右側「酉」に変わりました。

そしていまは、箱の部分しか残っていません。刺さった矢を「受けとめるだけ」。

ですから宗教者は、医師も看護師も事務の人も、布教の対象と思ってパンフレット持って回ればいいんです。もともと医療は、宗教的な行為なんですから。

一同 なるほど。

Okei 看護師でいらして僧侶でもいらっしゃる飯島さん、いかがですか?

飯島 自分たちが極楽往生とかって言ってしまっていいんですか?と質問をされたことがあります。

そういうときこそ、お医者さん・看護師さんと話をして、「そのへんは宗教家に任せてください」といえる関係を築くことが大事と感じました。

Okei じつは新潟には、国内でも数少ないビハーラ病棟のある病院があるんですね。新潟からお越しのNさんが、その病院を視察に行かれたことがあるそうなので、ご報告お願いします。

Nさん はい。長岡西病院というところにビハーラの病棟があります。そこに私どもと同じ日蓮宗の僧侶が勤めておられたので、お話をうかがいました。

仏堂があり、お祈りができる。毎朝、その地域のお坊さんが宗派問わずに代わる代わるやってきてお祈りをするそうです。お祈りの時間に参加する・しないは自由。ただ、ビハーラの活動の中にそれは入れさせていただいていますという説明があった上で、入所していただくことになっているそうです。

ビハーラ活動については、体験された家族の感想は、5割以上が「あってよかった」。

習慣としての祈りというものが、普段の日常では伝えにくくなっているが、病気や死をきっかけに、そういった祈りの習慣を見直しながら死生を考える機会になっていると思いました。

とてもおだやかな病棟という印象を受けました。

ただし、27床しかありません。30年たっているのに、日本全国にそういう場が増えてきているわけでもありません。

今日参加して思ったのは、事前の準備が大事ということを実感しました。Facebookで事前に、キリスト教のかたも見えるのか、イスラム教のかたが見えるのか、などとわかっているだけでも、今日ここにきてからのつながりかたが違ってくると思いました。

Kさん 仕事では、精神病のかたとの関わりが多いのですが、病気がどこからくるのかが少しずつわかっているけれど、治すのはお医者さんではないのだなと、3年かかわってみて思っています。皆さん、お医者さんには何も治していただいていないんだなと感じることがあります。

Okei いわゆる科学の領域の「医学」で治せる限界がある、ということですね。

宗教者は、こころの問題の専門家ではない。魂世界の専門家である

ラザロ 最新レベルのスタッフと治療を用意して、診断がつけられる病気のうちのどのくらいの割合を治せるか?というデータがあります。たったの3割です。

1つの病名を1つの病気として統計処理をすると、診断を受けたうちの7割は、完治させられていないんです。

「病気を治そう」というのが、傲慢かもしれません。医者がやっていることというのは、援助であって、「治療というものが支配ではない」。患者さんと医療はもっと橋がかかってもいいんではないのか。

そしてそのときに、「お焼香のやりかたくらいは、看護師さんや医者に教えてあげてよ」と、お坊さんに言いたい(笑)

霊安室で看護師たちがきちっとした態度でお焼香しているだけでも、遺族にはとても伝わる。

Okei 現実に死を迎える局面では、宗教儀礼が着実に気持ちを癒やすということですね。その前からかかわることができれば、遺された人だけでなく闘病する人をも楽にしてゆけると。

最後に、これだけは言っておきたいというかた、どうぞ。

ナセル 医者と宗教者の違いはなにか? でよく言われることがあります。精神的に病んでくると、オバケが見える、見えないモノが見える、という人が増えてきます。そのときに、医師は処方箋を書くことしかしないので、見えないモノが見えるといえば「病気です」となる。そこに耳を傾けて、解決の方法を示していけるのは宗教者の役割だと。ある仏教の先生が仰っています。

その先生が、同時にもうひとつおっしゃっているのは、これだけ多様化している時代に、ひとつの宗教ではもう力足らずなんだと。ことに去年の3・11以降、「超宗教で何かやらないと」、ということを力説していらっしゃいます。今日はたまたま世界三大宗教が集まりました。キリスト教やイスラム教は日本ではごく少数ですが、それでも千年以上続く教えがある宗教がみな手を合わせて、自死者3万人問題や生活困窮の問題などに向かっていくべきだと思います。

ラザロ 心の問題を宗教者がやるものだ、と皆さん思っているけれども、それは実は違います。心の問題というのは、脳という臓器の問題なんです。宗教者がやるのは魂の問題。心と魂というのは別なんです。人の存在を超える存在が、魂に関係する問題なんです。

こういう要素を持っていなければ宗教ではない、と僕が思うものが5つあります。人々を祝福すること。人々を癒やすこと。危険から守ること。警告すること。平和を生み出すこと。この5つがそろって初めて宗教といえるのだと思います。

この記事を書いた人
『いいお坊さん ひどいお坊さん』(ベスト新書電子版, 2011)、『心が軽くなる仏教とのつきあいかた』(啓文社書房, 2017)ほかの著者、勝 桂子(すぐれ・けいこ)、ニックネームOkeiです。 当サイト“ひとなみ”は、Okeiが主宰する任意団体です。葬祭カウンセラーとして、仏教をはじめとする宗教の存在意義を追究し、生きづらさを緩和してゆくための座談会、勉強会を随時開催しています。
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